貧弱な姿をしているからし種


               赤十字の父、アンリ・デュナンの像がジュネーブの舗道にありました。
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                                            かすかな新しい兆し (上)
                                            ルカ13章18-21節


                              (1)
  今日の箇所は「からし種とパン種のたとえ」となっていますが、イエスは、しばしば日常生活にあるものを素材に譬えを話されました。

  先週は、イエス様が安息日ユダヤ教の会堂で腰の曲がった女性を癒された出来事でした。今日の話は、「そこで」とあるようにこの癒しに続いて、もしかしたら、その会堂の庭にでも植わっていたからし種を指さしておっしゃったのかも知れません。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、このからし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」と。

  「神の国は何に似ているか。何にたとえようか」と言われるのは、神の国を知っておられるからです。知りもせず口を挟む人もありますが、イエスは知らずに語られたのではありません。マタイ13章でも神の国の譬えを幾つか話され、ここでは、神の国の働き、神の国は地上でどういう姿をしているかを話しておられます。

  ところで、イエスが、「それは、からし種に似ている」とおっしゃった時、群衆は一瞬耳を疑ったでしょう。神の国を巨大なもの、美しく荘厳なものだと思っていたのに、地上で最も小さい種とも言われる、ごく小さい、見るからに貧弱なからし種に譬えられたからです。しかも、からし種は単数形ですから、神の国はたった一粒のからし種に似ていると言われたので、一層貧弱さを想像して、皆不思議に思ったでしょう。

  ある牧師たちの会で、私はからし種を持っていますと申しましたら、ある方が、ゴマほどの大きさですかと聞かれました。滅相もない。ゴマの50分の1、それより小さいものです。もし地面に落とせば、チリや微細な砂と区別がつきません。大風でなくても、フッと吹けばどこかに消えてなくなります。実に軽く、細かい。それがからし種の姿です。

  ところが、イエスが言われたように、「人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」程なのです。

  誇張ではありません。ホコリほどの極めて小さい種が、育つと、4、5mの高い木になり、黄色の小さなラッパ型の花を無数に付けます。枝に葉が繁ると、小鳥が来て巣を作り雛を育てます。日本では大きく育ちませんが、これは、パレスチナの人々が日常的に見ていたことです。

                              (2)
  なぜ神の国を一粒のからし種に譬えられたのでしょう。神の国は、最初は極めて小さいからし種のように、人の目によく見えないからです。注目をひかないのです。最初だけでなく、神の国のご支配は肉眼では分からない。たとえ見えたにしても、信仰の目を持ってでないと、実に貧弱に見えるからです。

  先ほど申しましたが、からし種は息で軽く吹き飛ばされます。指で弾き飛ばされます。どこかに落ちれば見つけるのは困難です。その軽さは譬えようもなく、一粒のからし種では何の経済価値もなく、一粒では料理にも役立ちません。

  イエスが説かれた神の国も同じです。それは微小なからし種のように始まりました。何の重要さもないように思われました。12人弟子たちは社会のエリートではありません。漁師であったり、徴税人であったり、学も教養もない人たちです。イエスの出身のナザレは辺鄙な山里です。その生涯は僅か33年、長く見積もっても37年。しかも悪人として十字架に付けられ虐殺されました。墓も遺品もありません。学校も行かず、一冊の書物も残されませんでした。まさに見栄えも、強さも、華麗さもなく、貧弱な一粒のからし種に過ぎません。

  祭司長や長老たち、律法学者たちによって、イエスは社会からからし種のように軽く弾き飛ばされましたし、弟子たちも、蜘蛛の子を散らすようにイエスを見捨てて逃げたのです。この小さな集団は社会に一蹴され、吹き飛ばされ、潰されたかに見えました。

  しかしイエスは、「からし種は庭に蒔かれると成長し、枝を張り、多くの小鳥たちを宿すほどの木になる」と言われたのです。からし種は生きている。種には命が詰まっている。だから、やがて成長し、大きく枝を張り、多くの小鳥たちがそこに宿るようになる。やがて実力が発揮される。

  一旦は死んだように見えたイエスの教えは、やがてイエスの復活とペンテコステの出来事の後、2千年の間に世界大に広がりました。実力が発揮された。各地で根を張り、大きく育って来たのではないでしょうか。そして今も成長し続けているのではないでしょうか。イエスの預言はその通り実現したのではないでしょうか。

  キリスト教を抜きに世界は語れません。日本でも、キリスト教主義学校を毎年卒業する人は高校、大学で何千人、1万人に近いでしょう。キリスト教の影響下に社会に出た人は沢山います。

                              (3)
  しかし私は、まだイエスの預言はすっかり実現に至っていないと思います。その途上にあると思います。これからまだ変遷を遂げ、キリストによって変えられて行くだろうと思います。……

          (つづく)

                                        2013年9月8日


                                        板橋大山教会 上垣 勝



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