オランダ人従軍慰安婦のこと


                 ジュネーブ宗教改革記念碑はジュネーブ大学の前にありました。
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                                       み顔の光に照らされて生きる (中)
                                       詩編4篇1-9節



                              (3)
  マルタさんはそれは美しい女性でした。父方も母方も祖父母の代から始まる、オランダ人とインドネシア人との間に生まれた3世でした。しかし父は早く病死し、母は再婚しますが、義理の父は捕虜になって日本に連行され、福岡の炭鉱で強制労働をさせられます。

  母は3人の子供を連れて、先祖伝来の貴重な品々まで売って生活しますが、やがて売る物も尽きて、手製の木のおもちゃや腕輪など装身具を作って売り歩きました。無論戦時中ですから、買ってくれる人はごく僅かです。

  1944年4月のある日、18歳のマルタさんは、その日もおもちゃを売りに町に向かっていました。インドネシアの風景はあまりご存知ないでしょうか。日本の昔の田舎道の感じです。

  すると横に車が止まり、憲兵が2人連れ立って降りて来たのです。何をしているのかと尋ねられ、「これを売りに行くところです。兵隊さん、この綺麗な腕輪はどうですか」と尋ねました。すると日本兵は、一緒について来るように手真似で命じ、兵隊たちは彼女を捕まえて車に押し込んだのです。

  連れて行かれた建物には、すでに100人余りの少女や若い女性たちが集められていました。彼らは、自分と同じように連れて来られたり、日本の警察があちこちの民家に押し入って引っ張って来た女性たちでした。母親が自分を身代わりに連れて行って欲しいと泣きながらすがっても、突き放されて若い娘さんらが連れて来られたのです。

  マルタさんは、先ず30人程と慰安所に連れて行かれました。先ずそこで何をされたか、事実を申しましょう。医者の検診を受けました。それから検診台に乗せられ、男たちにしっかり捕まえられて、日本人の医者が彼女の処女膜を切り取ったのです。その日から、彼女の、そして彼女たちの血みどろの苦難の日々が始まりました。(「福音と世界」9月号)。オランダは300年にわたりインドネシアを支配し、日本は僅か3年でした。だがこの3年は、オランダの300年より酷い支配の苦難の年月だったのです。

  軍は従軍慰安婦に関わりはなかったと政府は言っています。本当でしょうか。だが、マルタさんお一人をとっても軍の関与は明白です。当時は厳重な統制の時代ですから、軍が関与しなければ大陸と東南アジアで数万人の従軍慰安婦を連れ回すことは決して出来ません。何しろ内地で物資を運ぶにも許可が必要で、厳しく監視されたのですから。敗戦が近づくと、日本軍は一切の従軍慰安婦の資料を焼却しました。アウシュヴィッツソ連軍が近づくや、ドイツ軍は全てを破壊し焼却して逃げました。いかなる悪事をしたかを知っているから焼却したのです。完全焼却で資料が発見されない。発見されないということは、軍は従軍慰安婦に関わった証拠がないからだ。あるなら見せろと、焼かせておいてそう言っている。

  あの戦争は侵略戦争ではなかったとも言って、歴史を改竄しようとしています。戦争で日本人は数百万人戦死しました。だが中国大陸と東南アジアで2000万人が死にました。そのお詫びをしないのです。反省もしません。哀悼もしませんでした。他人の家に土足で上がり、暴れまくってお詫びをしない人がいるでしょうか。たとえ泥酔だとしても、お詫びが当たり前です。それをしないだけでなく、今後は戦争を致しませんと、不戦の誓いも語らず、「貴い命を捧げられた、あなたがたの犠牲の上に、今、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません」と述べました。まるで日本兵の功績をたたえ、戦意を鼓舞するかのような言い回しをしました。

  これは偽りです。歴史の改ざんです。妄想に近いと思います。間違った信念です。この信仰者が語るように、空しさを愛し、偽りに立っています。

  実際は、治安維持法で国民の言論を統制したのではなかったか。日本軍が満州事変を起こしながら、中国軍の仕業だと言って直ちに大陸に侵攻した。それは戦後になって初めて真相がはっきりしました。挙国一致、国民精神総動員運動の下に国家が国民一人ひとりの私生活まで干渉できるようにして国民すべてを監視したのです。また国民総動員法などによって戦争に駆り立てたのです。国民に犠牲を強いたこれらの国の責任と反省の言葉は、首相の式辞のどこにも見られません。隣組制度を強制的に作り、隣近所が互いに目を光らせて監視し合うように国がしたのは、誰しも日常的に経験した実に窮屈な事実です。多くの嘘、偽りで塗り固めて、東南アジアの利権確保のために暗躍したのです。

  目の前のこの子も障碍を持っていますが、耳や目に障碍があったり、体や知能に発達障碍があって戦争に行けない人がどんなに辛い目にあったか。その家族の辛さは、知る人ぞ知る、です。子どもを産めなかった女性たちも、辛い目にあいました。

  靖国神社は単に戦死した人たちの神社ではありません。若い青年たちを戦争へと駆り立て、戦死させた神社です。戦争を鼓舞した神社です。そこへ閣僚や国会議員が参拝するのは、中国や韓国だけでなく、世界に再び戦争の強い脅威を与えるのは確実です。単なる内政問題ではありません。重要な国際問題です。

  これらのことに、国民が目覚めなければなりません。「むなしさを愛し、偽りを求め」てはならないのです。それでは再び天罰を喰らいます。


        (つづく)


                                        2013年8月18日




                                        板橋大山教会 上垣 勝



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