原発についての信仰宣言


                              笑う天使
                                ・



                          原発問題についての信仰宣言


「問:生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
 答:わたしが、身も魂も、生きている時も死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります。…」(ハイデルベルグ信仰問答 問1)

1.私たちキリスト者は、教派を超えて、使徒時代まで遡る「我は天地の造り主、全能の父なる神を信
ず」に始まる「使徒信条」を唱えてきました。この信条は、父なる神のみが全能であり、天地をお造
りになったことを告白し、同時に、その他の何ものも全能でも天地の造り主でもないと告白していま
す。即ち、神と人間の永遠の質的差異が述べられると共に、人間はこの造り主から限定された命を貸
与された被造物であることを表明しています。

  これは私たち人間の最も大きな喜びであり感謝であります。私たちは、主による被造性と主から貸
与された命を、喜びをもって生きることを告白します。また私たち人間は永遠に神になることはなく、
神の地位を奪いうる超人的存在でもなく、またそうした地位を窺おうとするいかなる思想的、科学的、
宗教的試みも拒否します。

  しかし、人類の歴史をたどる時、アダムの昔から「善悪を知る木の実」を食べる誘惑にそそのかされ、バベルの塔を建設しようと試み、現代もその誘惑の渦中にあります。すなわち、善から悪までを究めて「神のごとく」被造物に対して振舞おうとする誘惑です。それは人類が、「身も魂も、生きている時も死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであること」を知らず、唯一の主を忘れ、主を世界から排除し、その当然の帰結として自分自身の主人公であろうとすると共に、この惑星に存在する全被造物の主人であるかのように我がもの顔に振舞うことへの逸脱です。すなわち、人類が神の領域を窺い、それを人間の手に奪い、神の地位を人類が占めようとする罪の逸脱であります。

  これは何よりも十戒の第1戒、「汝、わが顔の前に、我のほか何物をも神とすべからず」への背叛
であると共に、第2戒、「汝、己れのために、何の偶像をもきざむべからず、また上は天にあるもの、
下は地にあるもの、ならびに地の下の水の中にあるものの、何の形をも作るべからず、これを拝むべ
からず、これに仕うべからず、…」に対する背叛であります。

2.原子力技術は人類に多くの貢献をして来ました。特に医学や工業技術での貢献は多大であり、その
価値を評価することにやぶさかではありません。ただ、この技術が核兵器に使用され、原子力発電の
ような核の巨大技術に応用される場合、この科学技術は無差別的な大量殺戮を生むと共に、人類が持
つ制御技術をはるかに超えたものである故に、ひと度、使用を誤ったり巨大な過酷事故を起こした場
合は、国境はおろか諸大陸を超えて地球全域を何世代にもわたって汚染し、人類及び全被造物に致命
的な打撃を与えざるをえないものです。

  この種の巨大事故が、1979年3月のスリーマイル島原発事故、1986年4月のチェルノブイリ原発
事故、2011年3月の福島原発事故によって、人類の制御技術を遥かに超えたものであり、生物と環
境にいかに長期にわたる深刻な打撃を与えるものかを証明しました。また今後も原子力発電を推進す
る限り、これらより遥かに巨大で致命的な地球的規模の事故が起こらないとも限らず、その可能性は
十分あります。故に、私たちは福島原発事故の教訓を忘れない限りにおいてだけ、希望のある明るい
明日を作ることができるでしょう。

  原発事故が人類の制御技術を超えているとは、いわばブレーキのきかない車が路上を走るのに等し
く、それによる死は未必の故意による死というより、意図的な殺人行為に類するものであり、十戒
第6戒、「汝、殺すなかれ」を犯すものです。

  巨大核技術は今や、人類がコントロールできない「天上の技術」であると言われます。「天上の技
術」と呼ぶのは、上記のような巨大事故時の制御不可能を指すだけでなく、未だ地上のいずれの国も
核の最終処理技術を実験室段階においてすら確立できないからであり、ましてや放射能を無毒化する
技術は開発不可能であるからです。また地下に埋設する場合も10万年先まで安全管理しなければな
らず、それは明らかに不可能です。従って、核技術は人類が制御できず人類の能力を遥かに超えた天
上においてしか望み得ない幻の技術、簡単に言えば地上では不可能な技術です。

  この「天上の技術」を地上で採用し、人類と核が共存しうるかのような宣伝はこれまで幾度もなさ
れてきました。だが共存可能を証明するための、事故やデータの隠蔽・改変を行なう由々しい罪の歴
史が営々と続いており、また原発の点検や補修を行う下請け労働者の被曝を隠すことも横行し、異常
な秘密主義と安全神話が政府と原発企業内に生まれる結果となってしまいました。

  また、原発企業の巨額の投資は立地自治体や地域住民への各種の交付金や買収に向けられ、自治
と地域住民の不満が噴出しないように金銭による縛りを強くしています。人類と核の共存が可能であ
るかのように金銭を介在させて証明すること自体、既に原子力技術の敗北を意味します。

  これらは、十戒の第9戒、神の前で「偽証してはならない」を犯すことに他なりません。

3.原発は国と産業界の「絶対安全」の合唱で推進されて来ましたが、それは経済的豊かさの追求のた
めであり、私たちはそれを知りつつ安易に享受してきたことを告白します。これは極めて短慮でした。なぜなら、事故原発の処理費用や将来の解体費用を含めると国家経済を破綻させるほどの巨額が予想され、それを子々孫々に押し付けるからです。また原発は地方に設置され、電力は大都市圏で大量消費されて来ました。これは危険を地方に押し付け大都市が受益するという社会構造的な罪を表しています。

  原発推進による成長戦略に、第10戎「汝、貪るなかれ」への私たち自身の違犯があったことを告白します

4.原子炉が開発されてまだ半世紀です。人類は遠い将来、最終処理技術を獲得するかもしれません。
だが、その技術がパーフェクトに完成するまでは、2でも述べたように、この技術は人類の管理能力
を超える技術として、核燃料を使用する原子力発電の領域に立ち入ることを控えなければなりません。
すなわちこの技術の商業的軍事的使用をやめる選択を決意すべきです。

  イエスは荒野の誘惑において、お前が神の子なら石をパンに変えてみよと、サタンの誘惑を受けら
れましたが、イエスはサタンに跪かず、その誘惑を拒み、「ただ神にのみ仕えよ」と語られました。
そのように、私たちは人類がパンのために原子力発電を選択する道を拒否します。

  ましてや国際紛争を解決する手段として戦争を放棄した私たちは、戦争のために核技術を用いるこ
とを永久に放棄します。

5.私たち人類は、いかなる人も、他と取り替えできない自分という一個の命を神から貸与されていま
す。その神のみ業の貴さゆえに各人の命は地球より重いのです。それは神が注がれる愛と恵みの重さ
であり各人に授けられた尊厳です。この命の尊さは子や孫、子々孫々まで損なわれてはなりません。

  それは父なる創造の神、子なるキリスト、聖霊の神、すなわち三位一体の神に背くことです。平和と
正義と生命の主は我らと共にあり、人類を滅亡に晒すことに同意されることはありません。

  以上はローマ書8章にあるように他のすべての被造物の切なる願いでもあり、全被造物は神のみ心
に適う選択をする神の子たちの現われるのを呻き苦しみつつ待ち望んでいます。

  万物と万民の上にキリストの平和があるように祈ります。アーメン。

          2013年8月15日      


                                        板橋大山教会 上垣 勝



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