どんな国とも笑って交わる



                                         (写真クリックで拡大)
                 宝石のような古都バーゼル(上)とライン川で泳ぐ人たち(下)
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                                           悔い改めなければ (下)
                                           ルカ13章1-5節


                              (3)
  きょうは礼拝後の愛餐会で妻がテゼでの経験を話すことになっていますが、まだ休暇の余韻が残っていまして、今日もスイスのバーゼルのことになりますが、バーゼルの町は驚くほど美しい町並みでした。町を行くトラムひとつ取っても町並みとマッチして美しいし、町全体がうず高く宝の盛られた山のように感じました。私たちはバーゼル大学のそばに泊まりましたが、至る所に忘れられないほど美しい街並みがありました。

  驚いたのは、夕方近くなると、町の中を広くゆったり流れる、水量のあるライン川で、多くの人が泳いでいる光景でした。人々が大河で泳いでいるのです。目を疑いました。結構流れは速く、上流から浮き袋をもって、流れに逆らわず2キロ、3キロと下流に泳いでいます。上流から次々、5人、10人、20人が三々五々であったり、固まりになって、青年だけでなく、50代、60代の人たちも、女性も勤めが終わると泳ぎに来るのです。こういう文化を私は知りません。

  その光景は実に愉快というしかありません。生活を楽しんでいるからです。町を愛し、文化を愛している。プールや人工的な何かで楽しんでいるのでなく、男性も女性も裸になってアルプスの奥深くから流れてくる天然自然の中に身を浸し、流れに身を任せて楽しんでいる。生活の中にライン川の泳ぎがあるという感じです。

  美しい国、スイスとわざわざ言わなくても、心から自分たちの町を愛しているのです。それが感じられました。私たちが会った50代の婦人は、母親が95、6歳ですが以前はここで泳いでたと言っていました。荒川や隅田川で親、子、孫と、何代も泳ぎを楽しみにして、今も泳いでいますか。彼らは自分たちの川で泳ぐのを楽しみに、誇りにしています。バーゼルの町の人たちの生き方に、神様から与えられたものを受け入れて、喜んで生きている姿が眩しくてなりませんでした。

  悔い改めるとは、キリストに過ちをすっかり委ねる信頼の躍動です。神様の光に身を任し、その自然な恵みに照らされて生きることです。自分を隠して生きるのではない。裸になって生きる。過去を改変したり、修正したり、抹消したり、隠蔽して生きるのではありません。罪を罪と率直に認めて、そこから出発する。すると誰しも過去の歴史からも自由になれるのです。自由になると喜びがやって来る。

  被害者意識を捨てられるのです。過去を指摘されても、被害者的だとか、自虐的だとか思わなくなるのです。そうなればどんな人とも、どんな国とも笑って自由に交われるのです。

  イエス様は、「悔い改めなければ同じように滅びる」と言われました。悔い改めは、過ちをキリストに預け、神の国に向かって新しい一歩を始めることです。なんと素晴らしいアドバイスでしょう。ここから、あなたの新しい一歩が始まると、イエスは彼らにも期待して語られたのです。それは私たちへの期待でもあります。


        (完)


                                        2013年8月4日


                                        板橋大山教会 上垣 勝



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