三国が一点で交わる町、バーゼル


                        テゼは今、若者たちであふれています
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                                          平和こそわが喜び (中)
                                          Ⅱテサロニケ3章16-18節
      

                              (2)
  キリスト教信仰は、神と生きた関係を持つことです。思想でも道徳でも、宗教組織や法や制度でもありません。それらは次の事柄であって、問題の核心はキリストとの生きた交わりであり、キリストの平和に与ること、その命に与ることです。

  イエスが、「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とおっしゃったのはこのことです。

  パウロが、「主があなたがた一同と共におられるように」と書いたのは、単なる言葉のアヤや修飾ではありません。平和の主が一緒にいて交わって下さる。これほど心強くまた平和が現実に身近になることはないのです。

  この方が一緒にいて交わって下さっているなら、争いの多い現実社会に生活していて、それに巻き込まれている時にも、その中で平和をお与え下さるでしょう。

  先週、スペインの列車事故で90人程が亡くなり、今なお数百人が重軽傷を負って病院で手当を受けています。近年では尼崎の事故に次ぐ大事故です。

  52歳の運転手は、これまでフェイスブックに自分の運転スピードを掲載して自慢していたようです。普通の列車なのに、ある時は時速200キロを超えるスピードを出して記録を載せていました。

  去年の3月、ある友人は、「もしポリスに捕まれば、君の記録も取り消しになるぞ」と忠告していたそうです。ところがそれに対し、「警察のスピード監視メーターを上手く切り抜けて、スピードを上げるのが面白いんだよ。へっへ。なんて愉快なことだ!」と書き込んでいたと向こうの新聞は報じています。

  彼の心には平和がなかったのでしょう。日常生活の鬱憤、とかくある人生の鬱積を晴らすために、どこかで皆をびっくりさせたい。自慢したい。やり返したい。そういう心で生きていたのでしょう。皮肉にも彼は軽傷で、運転席から運び出された時、「死にたい」と漏らしたそうです。可愛そうですが、やりきれません。

  鬱憤晴らしでは平和は来ません。もっと根本的な解決がなければなりません。平和が心に、魂に来なければなりません。この根本的なものがないと、人生はどうなるか分かりません。

  今回のテゼへの旅の帰りに、スイスのバーゼルという古い町に寄りました。カール・バルトが生まれ、一時はドイツのボン大学で教えますが、ナチスに追われてスイスに戻り、ここで召されるまで長年活動した町で、一度行ってみたい所でした。どうしてああいう巨大な思想家が現れるのか興味がありました。

  今日はバルトのことは触れませんが、家内はこの町で、スイスとフランスとドイツの、3つの国の国境が一点で交わる場所に行きたいと言いますので、地元の観光案内所で詳しく聞いて市電に乗ったりバスに乗り換えたり炎天下を歩いたりして、町から離れたライン川の中洲にあるその場所に行きました。日本から、よくもまあそんな辺鄙な所に行ったものです。

  お陰でほとんど人通りがありません。ところが外国にも変わり者がいて、やっぱりここに来てみたかったので来たという何人かが歩いていて、安心ください、たとえ変わり種でも同類項は世界にいるものです。写真を撮って仲間みたいになりました。

  スイスは日本の四国ほどの広さです。狭いのに、昔は一山越えれば、言葉も風習も宗教も違う異民族が住む多民族国家です。それがやがて一つの国になるには大変な努力、大変な忍耐、大変な時間、和解への大変強力な意志力が何よりもなければ決して達成しなかったのです。その背後には、平和の主がいること。キリストがいること。平和の主への強い確信が働いていたことを知りました。

  中洲の先端の三つの国境が交わる地点近くに、「心の中の平和からだけ、社会の平和は来る」と書かれていました。私は本当にそうだと思いました。

  平和の主が人間の魂に平和を、平安をシャローム、エイレーネを与えて下さる。そのお方に支えられ、それが平和を作り出す内的な原動力となり意志力となって、民族を越える平和が作り出されてスイスが一つの国になり、さらにフランス、ドイツとの間でも国境を挟んで平和を確立していくという平和の大変な意志を生み出したのです。驚いたのは、スイス国とフランス国のバーゼル駅が同じ駅構内にあります。考えられますか。

  富士山が世界遺産になり、登山者が殺到しているそうです。世界遺産とは、後世まで自然を守る責任があるということです。ところが登山者が増え、自然が却って破壊される。日本では観光客を呼ぶために、お金のために世界遺産にしようとしたからです。全くおかしい。私たちは人が殺到する観光スポットでない場所に行きましたが、観光スポットでは得られない大切なものを与えられました。

  中国、韓国との関係をどう築くか。その深い示唆もこの町にあると言って良いでしょう。


        (つづく)


                                       2013年7月28日


                                        板橋大山教会 上垣 勝



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