空や地の顔つき、それが天候です


             移動式市場で売られているハムが最高でした。近くの農家が出しています。
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                                            時を見分ける (上)
                                            ルカ12章54-59節
         
                              (序)
  今日は都議選の投票です。別に意識したわけでありませんが、今日の題は「時を見分ける」です。「利を見分ける」でも、「数を見分ける」でもありません。自党の利を見分けたり、有権者の数を見分けて党利党略に走る政治屋に良識ある人たちはもうウンザリしています。

  東京は今では世界の人たちが注目していますから、その注目に耐える見識ある人たちが選ばれなければなければなりませんね。でないと外国の人に恥ずかしいです。

                              (1)
  さて、今日の箇所は、「イエスはまた群衆にも言われた」とありますから、弟子たちだけでなく、イエスの周りに集まっていた一般群衆に向けても語られたものです。

  「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる」とあります。

  イエス時代のユダヤ人は、天候を当てるのが得意だったようです。そのため、イエス様は群衆の誰もが関心ある天候のことを例に話し始められたのです。

  パレスティナは西に地中海があり、南にエジプトまで続く砂漠が広がります。黒雲が地中海方面に現れると見る見る大きくなって空を覆い、にわか雨が来ることが多いようです。旧約聖書にも預言者エリアがカルメル山で激しい雨を預言すると、まもなく地中海の彼方に手のひらほどの小さい雲が上って来て激しい雨になったとあります。それが54節で言われるような天候の変化でしょう。

  また南風が吹き始めると、南に、太陽に焼けた広大な砂漠が延々と広がっていますから、シロッコのような砂漠の熱風が吹いて来て、やがて猛暑が襲うようです。

  天候は今も昔もほぼ変わりませんから、現在もその通りでしょう。こういう天候の兆しを見て人々が、やがてこうなると言うと、実際そうなることが多かったのでしょう。

  昔は日本でも、「雨蛙が鳴くと雨」とか、「鐘の音が近くに聞こえると雨」と言いましたし、実際小学生時代、隣村の同級生のお寺から聞こえる鐘の音が驚く程近くに聞こえたり、殆ど聞こえない日もありました。「猫が顔を洗うと雨」という諺もあるようですが、これはどうでしょう。しょっちゅう顔を洗っている猫がいます。殆どそんな仕草をしないのもいますから、あまり当てになりません。

  朝焼けなら雨、夕焼けなら晴れ。これはある程度は当たるでしょう。古今東西、人間は何かの徴を通して未来を予知しようとしてきました。

  今日では、もう人は空を見ていません。テレビの予報を見ています。それだけでなく、今は天候を気にするのんきな時代は去って、多くの人が株価の動きを見ています。更には、人々は値動きの元になる、黒田総裁やバーナンキ議長の発言に注目して、ちょっとした発言のニュアンスで株が上がったり下がったりという時代です。美しい国、日本というのですが、一億総経済人みたいなおかしな、歪んだ時代にますますなっています。

                              (2)
  いずれにせよ、イエス様はユダヤ人たちの天候への関心、自然のちょっとした徴から素早く今日の天気を当てることができるという素晴らしい才能を述べて、次に、「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか」と言われたのです。持ち上げたり、急に落としたりという感じがしないでもありません。

  急に、どうして「偽善者」なのでしょう。これには少し含みがあります。偽善者というのは、教会生活が長い方は、ギリシャ語でヒュポクリテ-スという言葉だとご存知かも知れません。

  ヒュポクリテ-ス。これは元は、ギリシャ劇の主演を演じる役者を指す言葉です。ギリシャ劇は、日本の能のように仮面をつけて演じる仮面劇です。彼らは人前で演じます。真に迫ってうまく演じるだけで、役者の生き様とギャップがある場合が多くあったようです。そうなると正に偽善者です。

  今日の箇所は、それとはちょっと違う特徴を取り上げられています。仮面をつけると誰が演じているか分かりません。

  分かりませんが、実際にはお芝居が好きな芝居の通は、役者が仮面をかぶっても今日は誰が演じているか分かるわけで、松本幸四郎なのか、市川海老蔵なのか、坂東三津五郎がやっているのか、歌舞伎は仮面をつけませんが、たとえ能や狂言のように仮面をつけても、またどんなに声色を変えても、通には分かるわけです。

  これは、天気の予測と同じだというのです。どういうことかと申しますと、日本語では分かりにくいのですが、「空や地の模様を見分けることは知っているのに」とある、「模様」という言葉はプロソーポン、「顔、顔つき」という言葉なのです。

  天気、空模様というのは、「空や地の顔つき」でしょ。天候を見分けるというのは、「空の顔つきや地の顔つきを見分ける」ことでしょ。

  そうですよね。今日は遠くの山が霞んでいるとか、山が近いとか、そういう「地の顔つき」を見たり、鰯雲が出ているとか、積雲が出てきたとか、今夜は月に傘がかかっているとか、「空の顔つき」を見たりして天候を予想するわけです。

  地や空の顔つき。これは一種の仮面でしょう。その顔つきの背後に隠れている、このあと天気がどう変わるかという未来の天候予測、今後の実際の姿はどうなるかを当てる。ユダヤ人はそれがうまかった。

  これは、仮面をかぶっている役者が実際は誰かを当てるのと似ています。重複した比喩を使っているので分かりにくいですが、だいたいお分かりだと思います。

  あなたがたは偽善者だ、ヒュポクリテ-スだ、仮面劇の俳優だ。空や地の顔つきを見分けることは知って自慢しているのに、「今の時、今の時代の顔つきから今の時代の真相を見分けることができない。」イエスはこのように、重ねた比喩を使って、人生と生活の真理に迫って、群衆に問いかけられたのです。有権者の動向を見て、色んな画策をしている政治屋みたいです。

  お分かりでしょうか。ユダヤ人は天気を予想することがうまいのです。空の顔つき、地の顔つきを見分けて、うまく予想するわけです。そのことにひっかけて、イエスはおっしゃっているわけです。あなたがたはうまく見分ける。だが真に大切なことについても、うまいかどうかです。

  それだけだと偽善者だと。表面的な取り繕いだとおっしゃるのです。今の時を、1個の人間として、かけがえない自己としてどう深めて生きているかと問われるのです。


             (つづく)
                                         

                                         2013年6月23日


                                         板橋大山教会 上垣 勝



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