訛り丸出しの演説


                           パリの中世美術館で
                               ・


                                           恐れず語るペトロ
                                           使徒言行録2章14-42節


                              (1)
  今日はペンテコステです。教会の誕生を覚える日です。それで、2千年前の最初のペンテコステの日に、12弟子たちに起こった出来事を伝える聖書箇所をお読み頂きました。

  イエスの死後、復活があってからも、弟子たちは、エルサレムの隠れ家で、ユダヤ人たちを恐れ、息を潜めて集まっていました。だが2章1節以下に記されていますが、この日、激しい風が吹いて来たかのような大きな音と共に、聖霊が弟子たちに火のように下り、不思議な現象でしたが、彼らは国境を越える色々な国の言葉で語りだした訳です。驚いて集まって来た人たちは、メソポタミアやアラビアやリビアなど、自分の生まれ故郷の言葉で弟子たちが語っていることに、皆驚き、戸惑い、「一体、これはどうしたことか。新酒の酒に酔っ払っているのか」と互いに言ったと言うのです。

  新酒の酒とは、フランス語で言えばボージョレ・ヌーボーということでしょう。彼らはボージョレ・ヌーボーを飲んで、酔っ払って、陽気に浮かれているかのように思ったということでしょうか。

  それに続いて、今読んで頂いたペトロの演説が起こったわけです。演説というと、準備の下書きがあったように聞こえますが、突然のことで、何ら下書きなしに彼は語った筈です。場所はエルサレムの隠れ家近くあるいは神殿近くでしょう。

  こうありました。「すると、ペトロは11人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。」

  彼らはガリラヤの田舎者で、殆ど無学な漁師たちです。目の前のエルサレムの群衆には、イエスを十字架に付けた人達も多数混じっていたでしょう。ですから、自分たちも逮捕され、処刑されるかも知れないと恐れ、扉に鍵を掛け、息を潜めて過ごしていたのですが、その彼らが突然、聖霊を受けて群衆の前に現われ、「声を張り上げ、話し始めた」のです。

  「11人と共に立って」とあるので、イエスの弟子12人全員が群衆の前に雁首を揃えたのです。この驚くべき変化に私は圧倒されます。12人全員です。もし逮捕されれば、イエスの弟子集団は一網打尽にされ、悉く壊滅したでしょう。

  実に無謀と言おうか、ナイーブと言おうか、純粋と言おうか。大胆さに驚きを覚えますが、それが神の聖霊のなせる業でした。少し前まで、隠れ家で戦々兢々としていた者たちが、どうしてここまで勇敢になれたのか。神の聖霊が一人ひとりに降ったと書かれていますが、突然、人間を超えた何かが、炎のごとく、力強く天から彼らに啓示されたのは確かなのだと思います。いにしえの旧約聖書預言者集団がトランス状態になって語ったように、まるで津波に襲われるように神に圧倒されて語っているとしか思えません。しかも一時的トレンス状態でなく、日常的に、正常者として世界に向かって伝道していくのです。

  これまで群衆の前で、声を張り上げて話したこともなかった弟子が、むしろ内に内にと逃げていたのに、突然外に飛び出て、ガリラヤ訛り丸出しで少しも恥じることも、恐れることもなく語ったのです。変わったのでなく、変えられたのです。聖霊が彼らに臨んで作り変えられた。

  聖書に、水による洗礼、火による洗礼、聖霊による洗礼、3つの洗礼が出てきます。普通は水による洗礼で、いわば形式的とも言える洗礼儀式です。だがここで弟子たちに起こったのは、火と共に聖霊が天から降って聖霊に満たされるという、聖霊による洗礼を授けられた言うことです。

  ですからペンテコステは神に圧倒されるような事件です。天才は一人で立つ、だが使徒は二人で立つのです。ペンテコステによって私たちはキリストと共に2人で立つ者になったのです。

  ペトロは群衆を前に、「今は朝の九時ですから、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。…』」と話し始めました。

  ペトロは、自分たちは年齢も社会的地位も色々で、若者も年配者も僕のような者もいますが、神は年齢も性別も社会的地位も超えて、ヨエルが預言したように、「わたしの霊をすべての人に注ぐ」とあるように神の霊が注がれ、今、私たちは語っているのです。皆さんが、皆さんの生まれ故郷の国語でお聞きになったのは、私たちに神の聖霊が注がれたからです。

  ペトロは、神学や思想でなく、自分たちの上に起こった事実に基づいて話し始めました。群衆も事実を共有していた。それが強い説得力を持ったのでしょう。地方訛りの、無学な漁師の言葉であっても、事実に基づけば世界の人が耳を傾けます。恐れることはありません。これは永遠の真理です。

        (つづく)

                                         2013年5月19日



                                         板橋大山教会 上垣 勝



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