天は神の栄光を物語る


                       宮ノ下駅に入ってくる箱根登山電車
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                                           天は神の栄光を物語る (中)
                                           詩編19篇1-15節


                              (2)
  次に、「そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。太陽は、花婿が天蓋から出るように、勇士が喜び勇んで道を走るように天の果てを出で立ち、天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない」と歌っています。

  幕屋とはテントのことです。運動会のテントでなく宿泊するテントです。神は太陽が睡眠をとるためのテントを設けられたというのです。むろんこれは、太陽が地球の裏側に入ったに過ぎないのですが。

  太陽は男性です。花婿です。天蓋とあるのは、王様や上流階級が好んで用いた、天井からベッドの周りに吊るした刺繍の施されたレースや緞子のカーテンです。夜はそれを下ろして休みます。

  「太陽は、花婿が天蓋から出るように、勇士が喜び勇んで道を走るように」とありました。勇士とあるのをチャンピオンと訳している英訳もあります。太陽は朝、血色のいい、精悍な陸上のチャンピオン選手がベッドの天蓋を開けて出てくるように、東の空に出てくる。そして顔を輝かせ、喜びに溢れてフルスピードで競技場で走るように、太陽は東の空から西の空に向かって駆け抜けるというわけです。まるでジャマイカのゴールド・メダリスト、ボルト選手の走りを思わせる表現です。

  「天の果てを出で立ち」即ち東の空を出で立ち、「天の果てを」西の空を目指して行く。「その熱から隠れうるものはない。」

  この信仰者は科学者のはしりでしょう。というのは、地球の万物はみな太陽の熱と光から命を得ているからです。風も雨も雪も、大気圏の空気の流れも。海の波もうねりも、暖流も寒流も、海の中に対流があって撹拌されるから、掻き回されて海は決して死にません。それらは太陽の降り注ぐ熱が原因です。花も草も木も、人間も豚もイモムシも、ほうれん草も大根も、海流に乗って移動する何百種もの魚たちも、その魚を追って移動するもっと大きな魚たちも、皆、太陽の熱によって四季折々の生命活動をしています。春夏秋冬があるのは太陽があるからです。万物の源は太陽の光と熱である。だが、その太陽も神が造られた。生態系を成り立たせている大元は太陽です。だが、その太陽を神が造られた。そういう洞察がこの古代の信仰者にあります。

  大空にそして万物に、神のみ心が隈なく行き渡っていると語りたいのです。その熱から隠れうるものはない。その恵みから漏れうるものはない。万物は神の恵みのもとで生かされていると語りたいのです。自然の中に神の素晴らしい御手の業を見る。そういう素晴らしい信仰です。

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  次に、この万物の背後に主の律法が存在すると8節以下で語ります。それは主の掟であり、神の定められた法則であり、主の御心であり、主のコンセプトです。そして、その神の御心は真実で、純粋で、完全で、魂を生き返らせ、真っ直ぐで、清らかで、まことである。それは純金に優り、蜜よりも甘いと語ります。

  確かに、思わぬところに主の御心を発見すると、私たちの魂は生き返えさせられ、喜びを与えられます。だから私たちは時々大自然に接する必要があります。人間を超えた自然の力に触れて感受性を鋭くされるのは素晴らしいことです。

  ある新聞にこんなコラムがありました。三陸の海に、ダンゴウオという1.5センチほどの、丸い、愛嬌たっぷりな魚がいるそうです。震災後に、海底カメラマンの鍵井という方が海に潜った。すると海はドス黒く濁り、海底にもガレキと共に家庭で使われていた品々が散乱していて、陸上と同様に心突き刺さる悲しい光景が広がっていたそうです。そんな中で、一匹のダンゴウオが海の底に潜んでいるのを見つけた。

  それから約1年半たち再び三陸の海に潜ると、新しい命の誕生を告げるようにワカメが新芽をつけていた。ダンゴウオとも再会した。

  ダンゴウオは直径1センチほどの巣穴に産み付けた卵が孵化するまで、オスが2ヶ月巣穴を守るそうです。敵に襲われても逃げず、絶命する場合もあるそうです。勇敢な魚です。

  鍵井という方がこう書いているそうです。「命を見つめれば、見つめるほど、その輝きとは逆の姿を知ることになりました。たとえ小さな命でもたくさんの犠牲の上に、この世に生まれてくるのです。」沢山の小さな命と犠牲。考えさせられます。

  ところで生まれたダンゴウオの、米粒のような稚魚は巣穴を振り返りもせず、大きな世界に飛び出していったそうです。その姿はまばゆい輝きを放っていたというのです。

  神は、小さな生き物たちにも、生きる知恵も死ぬ知恵も与えておられます。だから死の傍らに、まばゆい命の輝きがあるのでしょう。小さな魚の背後にも、輝かしい主の御心、神の愛のコンセプトが隠れていると言っていいでしょう。このカメラマンが信仰者かどうか知りませんが、自然の中に主の御心を垣間見て、魂が生き返り、喜びを与えられたのでしょう。

        (つづく)

                                          2013年5月5日


                                          板橋大山教会 上垣 勝



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