ダビデの詩的表現の巧さ


                  久しぶりに箱根に行ったらクロユリが咲いていました。
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                                           天は神の栄光を物語る (上)
                                           詩編19篇1-15節


                              (1)
  今日は詩編19篇から御言葉を聞きたいと思います。この詩篇は前書きに「ダビデの詩」とあります。詩ですから、想像力をフルに働かせながら譬えや比喩を使って書かれています。

  先ず2節に、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す」とありました。

  草はらに寝そべって大空を見上げていると、青空に白い雲が気持ちよく流れて、羊になったり鯨になったり刻々と形を変えて行きます。夕焼けが白い雲に映えると茜色に輝き、白や茜や黒色に変化して日没の荘厳な輝きは格別な感動があります。

  「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」確かに耳を澄ませば、天は沈黙の雄弁さを持って神の栄光を物語っている気がします。大空に耳を傾ければ、神の栄光が聞こえるのではないでしょうか。

  また夜には、夜空を埋め尽くす星々が頭上に燦然(さんぜん)と輝きます。といっても東京では、もはや数えるほどしか星は見えません。しかしスモッグを取り払い、明るすぎる照明の光を一斉に消せば、東京でも数千、数万の星が見えるはずです。何しろ銀河系宇宙には2千億個の星が散らばっているのです。そして更に銀河系宇宙の外には、その何千億倍もの星々があって、宇宙の奥行は測り知ることができません。

  夜空が澄んでいると、真っ暗な夜空に月に一度、絹糸のように細い月が浮かびます。また煌々と照り輝く満月となって照り輝きます。また夜空いっぱいに広がる星々と星座は、北極星を中心に、巨大な模様を織りなしてゆっくり回転しています。夜、皆さんが星空の下で眠り、一刻眠って目を覚ますと星座はいつの間にかすっかり位置を変えているのに驚かされるでしょう。再び眠って目を覚ますと再び大きく位置を変えていてまた驚かされる筈です。こうして、大空の無数の星屑は地上の全被造物の頭上を黙々と音もなく巡っています。

  夜空もまた、「神の栄光を語り、大空は御手の業を示す」と言って良いでしょう。

  都会の殺風景なコンクリート・ジャングルの中で、私たちは19篇を読みましたが、本当なら皆さんと5月の風薫る大自然の中に出て、ここを読みたかったと思います。

  ダビデは羊飼いでしたから、彼は少年時代、毎日のように大空を眺め、毎夜のように星空を眺めて、神のみ業に心打たれていたに違いありません。

  「昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくてもその響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」これはまた何と詩的な表現でしょう。

  昼と夜は交代で来ます。昼は夜を挟んで、次の昼に昼の知識を伝えるのです。夜は昼を挟んで、次の夜に夜の知識を伝えるということでしょう。実に面白い見方です。昼も夜も、翌日の昼と夜に、ものすごい情報量を送っているというのでしょう。そのようにして何万年の歳月が流れて来たのです。

  話すことも、語ることもなく、声は聞こえない。だが沈黙の雄弁をもって世界の果てから果てまで、詳細な情報も漏らさず届かせている。ほんとにすごい詩的表現です。まるでインターネットの世界です。インターネットも沈黙のうちに、ものすごい情報を地球の果まで一瞬のうちに届けます。ただインターネットはバーチャルな非現実な世界ですが、ダビデも私たちも目にしているのは現実の世界です。

        (つづく)

                                          2013年5月5日


                                          板橋大山教会 上垣 勝



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