キリストの弟子である一人のホームレス


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                                          お墓での出来事 (中)
                                          ルカ23章56節-24章12節


                              (2)
  さて、今日の聖書が私たちに告げるメッセージの中心は、「なぜ、生きている方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、…三日目に復活することになっている、と言われたではないか」という箇所でしょう。

  「イエスは生きておられる!」ということです。ここにキリストの復活を告げる第1声があります。復活のキリストご自身の声でなく、神の使いの声ですが、「あの方はここにはおられない。甦られた。どうして、生きた方を死者の中に捜すのか」という明るい、だが叱責も含んだ声です。

  別の表現をすれば、「ここにあるのは空の墓だ。墓も死も、キリストを留めておけなかった」という声です。「キリストの復活は、見たり、観察したり、経験したりすることを超えた出来事である。人間の立ち入れぬ神の業である」ということでもあるでしょう。

  あるいはまた、「墓を出よ、希望を持て。神がイエスを甦らせられたのだ。復活のキリストはあなたがたの只中におられる。あなた方は、復活して生きておられるキリストと日常生活の中で出会い励まされるであろう」ということです。

  キリストは世におられた時、貧しいやもめや、ハンセン病の男、遊女や寝たきりの人、長血の女など、孤独の中に怯(おび)えていた人たちを励まし、愛して、力を与えられた。そのように、復活のキリストは、あなたがたの日常の只中にいて、力をお与えくださるということです。

  反対から言うと、死者や墓、空しいものの中に救い主、キリストを捜してはならない。そこにはおられぬ。キリストは死の下におられない。あなたに希望を与える方を虚無の中に捜しても、見つけることはできないということでもあります。

  墓は、私たちに痛みと悲しみを呼び起こすものです。死は空しさや絶望、虚無以外の何ものでもありません。私は、医者たちが努力の甲斐なく空しく死んでいく方の前で立ち尽くしたことがありました。呼びかけても応えず、立ち尽くさざるを得ませんでした。

  墓は、全ては無に帰することを鋭く突きつけてくる場所です。仏教の「般若心経」で言えば、「色即是空、空即是色」の世界です。空も無も色もどんなに分析しても、そこから積極的なものは何も出てきません。そこにあるのは諦め、諦念だけです。玉ねぎの皮をむくようなもので、最後までむいても何もありません。

  墓には希望を与えるキリストはおられない。そこには、何かを新しく創造する希望の芽はありません。死んだキリスト、遺体のキリスト、物体のキリストがあったとしても、それは人間の現実を変える何ら本質的なものではありません。だからこそ、御使いらは、「ここにはおられない。ここは空の墓である。キリストは復活された。墓を出てその方と出会いなさい」と告げたのです。別の言葉で言えば、墓を出よということです。

                              (3)
  暫く前に、ダイヤモンドの婚約指輪を持ち主に返したホームレスの人のことを紹介しました。その後どうなったかと思っていましたら、また外国の新聞に登場しました。見ると、3月上旬に寄付が1500万円であったのが、約3週間後の先週約1800万円に膨らんで、更に増え続けているとありました。

  普段は橋の下で寝て、昼には町の広場で乞食をしている55才の髭モジャのホームレスが示した誠実が、多くの人の心を熱く打ったのです。人々に真実な心を呼び覚ましたのです。この暗い時代の明るい話題になって、アメリカ人を中心に多くの人が励まされ、喜んで寄付に参加しているようです。

  新聞は、予期していないことが更に起こったと書いていました。テレビでハリスさんが報道されたために、16年間音信不通であった3人の姉妹が名乗り出て、イースターを前に先週の日曜日に再会したのです。ひとつの真実からドミノ式にミラクルが次々起こって、イースターに兄弟姉妹の交わりの復活が起こったのです。

  実は、ハリスさんの空き缶の中にコインと共にあの指輪を見つけた時、やっぱり宝石店に行ったそうですね。その日暮しのホームレスです。背に腹は変えられません。お金に換えようと出かけたのです。するとお店の人から40万円だと言われた。その一瞬、ハリスさんの気が変わった。そんな高価な指輪なら、持ち主こそ気が変わって、やっぱりあれを返してよと戻って来るかもしれないと思った。それで換金せずに大事に持っていたのです。

  するとダーリンさんが3日目に現われた。2、3のやり取りがあり、彼は、「ああ、それならここにあるよ」って気前よく返した。それに感激したダーリンさんのご主人が、インターネットで40万円の寄付を募り始めた訳です。それが今や1800万円の寄付になり、3週間前まで誰も予想しないことが起こったのです。生き別れの4兄弟姉妹の劇的な再会です。まさに神のみぞ知るです。

  宝石店で商談が成立しようとしていた瞬間、一瞬ハリスさんが思いを変え、取りに来るまで大事に持っておこうと決めた良心的判断。そこがひとつのミソですが、これらのミラクルが起こることになった元々の始まりは、やはりもう一つの大きなミソでした。それは、牧師であったおじいちゃん、おばあちゃんに生後6ヶ月の時から預けられたのが原因でしょうとハリスさんは言うのです。自分は決して大した人間でも何でもありませんと語っています。だが不幸なことが50年後にハッピーになって帰ってきた。彼は今、雨露をしのげる小さな家を持つようになったそうです。

  ハリスさんは、ホームレスの自分にしがみつかなかったのです。おじいちゃんが教えてくれたキリストに導かれて、ホームレスになっても正直に生きたのです。ホームレスになってもキリストと出会って生きた。彼も墓のキリストでなく、実際生活において生きて働いておられるキリストと出会って生きていた。ホームレスながら、彼もキリストの弟子の一人と言えるかも知れません。

        (つづく)

                                        2013年3月31日


                                        板橋大山教会 上垣 勝


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