イースターを飾る花


       知人が時々友人たちとディナーを食べるホール。……ええ、あなたもご存知のあの場所です。
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                                          お墓での出来事 (上)
                                          ルカ23章56節-24章12節


                              (序)
  今日は天気が悪く気温も低いですが、それでも桜が満開で春を迎えました。寒さに耐えていた地面に若草が萌え出し、ハナニラホトケノザが草むらに咲いて、スズメノエンドウも伸びて赤紫の小花をつけています。教会の狭い庭にも、色々な花が思い思いに芽を出して咲き出しています。いつの間にかジャスミンが2階の窓まで伸び、無数に蕾をつけています。1、2週間後には窓を開け放つと会堂の中にも香りが漂って来るでしょう。楽しみです。

  イギリスにはイースターを飾る花が色々ありました。中でもパスク・フラワーというのは紫の可憐なイースターの花です。アネモネの一種で、私はそこに行きませんでしたが、ケンブリッジの郊外の自然の中に自生して3、4キロにわたって無数に咲き乱れるのです。

  文語訳聖書に「野のユリ」という花が出てきます。元は白いユリでなく色んな種類の花を指しています。イギリスでは「谷間のゆり」というと、丸い鈴のような花を幾つも下に向けてつける鈴蘭のことです。鈴蘭もイースターの花です。鈴状の真っ白な小さな花は母マリアの目に浮かんだ涙だと言うのです。十字架で苦しむイエスを見た母マリアの清き涙。それを象徴していると言うのです。イギリス人の好きなロマンチックな美しい話です。

  冬が長く、寒ければ寒いほど、春の訪れの待ち遠しい3月でした。そして、イースターの訪れと共に春が来ました。イエスは冷たい死と闇の力に打ち勝たれたのです。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)と言われました。復活のキリストに従うなら、誰も暗闇を歩くことはありません。命に光を授けられるなら、希望を抱いて歩むことができるでしょう。

                              (1)
  女たちは、安息日は掟に従って休み、週の初めの日の明け方、香料を持ってイエスの墓にやって来ました。彼らはユダヤ教の掟を守って安息日、今の土曜日を休みました。まだユダヤ教の枠内で生きていたからです。イエスの葬りも、ユダヤ教の習慣通り香油を塗って葬ろうとしました。

  ところが墓は空で、イエスの遺体が見当たらず途方に暮れてしまいました。予想と違ったことが起こったのです。ちなみに、ユダヤの墓は横穴式の洞穴で、岩をくり抜いて作ったものです。そこに輝く衣を着た2人の者が現れ、「なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか。ここにはおられない。お話になっていたとおり復活なさったのだ」と言った。神の使いでしょう。彼らは全く驚きました。いや、恐ろしくなったのです。

  「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている。」これは、神の神的必然を表わす言葉です。神の真実は必ず起こる。そして起こった。それで女たちはイエスの言っておられたことを思い出し、復活を信じ、キリストは生きておられると確信したのです。彼女たちは理性でなく、直感的に確信したのでしょう。

  彼らは主の復活を確信して急いで帰り、一部始終を話したが、弟子たちはたわ言として信じなかったのです。英語ではナンセンスと訳しています。キリストの復活。それは有り得ない。バカなことを言うなと、取り合おうとしなかったのです。ただペトロだけは女たちの話を確かめようと墓へ走って行って、中を覗くとイエスの遺体を包んでいた亜麻布しかなく、驚きながら家に帰ったとあります。

        (つづく)

                                        2013年3月31日


                                        板橋大山教会 上垣 勝


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