ロバと聖者


                      ウイーンのドナウ川の支流を行く観光船
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                                          主がお入用なのです (上)
                                          マルコ11章1-11節


                              (序)
  今日は、棕櫚の主日、パーム・サンデーと言いまして、多くの民衆が棕櫚の枝を振ってイエスを歓迎する中で、イエス様がエルサレムに入場された日です。

  1節に、「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき…」とありました。イエス様は弟子たちとガリラヤ地方から来られ、今、エリコの町を過ぎエルサレムに近づいておられました。むろんその歩みは、十字架への道、受難に向かう道です。

  そして日曜日にエルサレムに入場し、木曜日には弟子たちと最後の晩餐を行い、その夜、オリーブ山にあるゲッセマネの園で、3度にわたり血を吐くような懸命な祈りをした後、イスカリオテのユダの裏切りによって逮捕されます。

  そして真夜中に開かれたユダヤ最高議会の裁判で死刑宣告を受け、翌日の金曜日にエルサレム郊外のゴルゴタの丘ゴルゴタとはしゃれこうべのことで処刑された人たちのしゃれこうべがゴロゴロ転がっていたのでしょうが、2人の強盗と十字架に釘で打ち付けられ、槍で脇腹を一突きにされて処刑されました。最期に、「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」と大声で神に向かって叫んで、息を引き取られました。

  二千年の教会は、この一週間を受難週、ホーリー・ウイークと呼んでイエスの受難を偲んできました。そして来週はいよいよイエスの復活を祝うイースターを迎えます。キリスト教信仰の中心、最も大事な出来事はクリスマスではありません。イースターにあります。

  キリスト教は、クリスマスから始まってのではなくイースターから始まりました。「主は甦られた。主は死に打ち勝たれた。勝利された。」この復活の出来事が、キリスト教キリスト教たらしめています。ですから、来週のイースターはそういう思いで復活のキリストのもとに集まりたいと思います。

                              (1)
  さて、イエスの一行がオリーブ山の東の中腹にあるベトファゲとベタニアに近づいた時、2人の弟子を遣わそうとして、「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、子ろばのつないであるのが見つかる。まだだれも乗ったことのない子ろばである。それをほどいて、連れて来なさい。誰かが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい」と言われたのです。

  べトファゲは粗末なイチジクという意味です。東側の山麓(さんろく)で陽がよく当たりそうですが、村は何かで日陰になり日向の炎天を好むイチジクは貧弱な実しかつけなかったのでしょう。現在、ここにベトファゲ教会が建っています。

  ベタニア村の方は、イチジク、アーモンド、オリーブがよく実る村のようです。アーモンドの花はいちはやく春を告げ、桜に似た花ですが、やや大きくとても品のいい花です。マリア、マルタ、ラザロの兄弟姉妹はこの村の人でした。しかしラザロがハンセン病癩病で有名だったからか、この村はベタニア、その意味は「悩む者の村」という汚名が付けられたようです。現在はイスラムの人が住み、「エル・アザリエ」という地名になっていますが、これは「ラザロの所」という意味です。今も2千年前の名残があることに驚きます。

  11節に、イエスエルサレムを見回った後、夕方に、12人を連れてベタニアに出て行かれたとありますから、イエスを慕うこの兄弟姉妹が住むベタニアで宿を取られたのでしょう。

  そう考えると、子ロバがつながれていた村は、イエスが泊まることにしていたベタニア村だったと考えることができ、その宿の主人に予め、子ロバを借りる約束を得ていたと考えられます。

  2人の弟子が出かけると、「表通りの戸口に子ロバのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、『その子ロバをほどいてどうするのか』と言った。2人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた」と言うのを読みますと、イエスに予知能力があったように書かれています。多分私たちと違って予知能力がおありだったでしょうが、「イエスの言われた通りを話すと、許してくれた」というのですから、普通なら、見慣れぬよそ者がロバを連れて行こうとすれば、村人は「オイ、それをどうするつもりだ」と引き止めるだけでなく、「主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります」と言っても許してくれないでしょう。

  しかし許してくれたのは、イエスはこの村の家に宿を頼み、「戸口につながれている子ロバ」を使わせて下さいと頼んでおられたからでしょう。イエスは用意周到な方だったのだと思います。

  さて、弟子たちは子ロバを連れて来て、その背中に自分の服をかけると、「イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、他の人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた」のです。また、群衆が前を行く者も後に従う者も、「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んで大歓迎をしたのです。

  服をかけたのは鞍の代わりです。ロバは背骨が出ていますから、そのままだと乗りにくいです。ベタニアから暫くは山腹の平坦な道でしょうが、やがてオリーブ山の谷底に降りて行かなければなりません。そして一番底に下って、今度はエルサレムの町があるシオンの丘を頂上まで登らなければなりません。デコボコ道を、これまで人を乗せたことのない子ロバが、人を乗せていくのは中々骨が折れます。重労働です。

  ロバは元来、頑固な家畜です。それに意外と臆病です。しかもまだ誰も乗せたことがないのですから、乗ろうとすると驚き慌てて、パニックをおこします。「何すんのよ。失礼ね」、なんて言いませんが、普通なら驚いて逃げるでしょう。

                              (2)
  イエス様がエルサレムに入られると、多くの群衆が、「自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた」のです。自分の服を道に敷くのは、服従や恭順の印です。彼らは、イエスイスラエル解放の政治的な王として恭順をもって迎えたのです。

  「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」「ホサナ」とは元は、「今、救ってください」とか、「神をほめたたえよ」という意味ですが、日本風に言うと「万歳」の歓声と言っていいでしょう。「我らの父ダビデの来るべき国に」というのも、イエスダビデ王国再建の政治的救済者として迎えているからです。

  もし、イエスがこの世の政治的救済者なら、輝く鞍をつけた馬にまたがって颯爽とエルサレム入場をすべきです。民衆の歓迎に正しく応えるには、威風堂々と凱旋将軍の姿で行くのがふさわしいでしょう。

  だが、イエスは決して馬に乗って入場されませんでした。背の低いロバ。民衆の乗り物であるロバ。馬に比べて多くの短所欠点を持つロバ。しかもロバの子の背に乗って入場されました。イエスはロバに乗る聖者です。イエスは群衆の歓呼の声を浴びながら、一言も答えておられないのは、この世の王や将軍として来られたのではないからです。群衆とイエスのお考えに大きな落差があります。イエスは、神の国のご支配、その嬉しい福音を告げに来られたからです。

          (つづく)

                                         2013年3月24日


                                          板橋大山教会   上垣 勝



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