新しい一つの都


                        オーパーから見た国立オペラ座
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                                           新しい一つの都 (下)
                                           ヨハネ黙示録21章1-6節


                              (4)
  ヨハネは、幻の中ですが、神の聖なる都が天から降って来るのを見たのです。この都は地上に降って来るのです。この都は来世のことや天上の出来事ではなく、地上に降って来る出来事です。

  彼がこう語るのは、都が天から降って来るのは、誰しも目を上げさえすれば仰ぐことができるためです。また、私たちが神から目を逸らさないように招いているからです。

  前に述べましたが、人間はギリシャ語でアンスローポスと言います。これはアンという言葉とプロソーポンという言葉が合わさった言葉です。アンは上に、プロソーポンは顔です。アンスローポスとは顔を上にあげるという意味です。人間を超えるお方に顔を向ける時に、人間は真に人間になるとギリシャ人は考えたのです。上とは目標、理想、神のことです。ですから目標を失ったり、神を避けていたのでは人間は人間にならないのです。

  私たち人間は仲間のことで悩んだり、恨んだり、悲しんだり、横の関係で悩むことが多い存在ですが、「見よ」とありました。自分を超えた存在、神を、キリストを見よというのです。真理との関係で生きよというのです。その時、人間は最も人間らしくなり、危機を脱します。

  すなわち、涙をことごとくぬぐい取られ、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」渇いている者は、命の水の泉から価なしに飲ませられるからです。

  今は渇きがあるかも知れない。だが命の水の泉を、神から存分に頂いて、一服してからまた挑戦していけばいいのです。人生は急ぐ必要はない。急いでもどこへ行くこともできないです。腰を据え、じっくり生きるべきです。渇いても、渇いても、命の泉から繰り返し飲み、渇きを癒されながら、今、担っているものを担っていく。神が涙を拭って下さるから再び挑戦していく。神が共にいて下さるからしぶとく歩んでいくのです。

  やがて世界は新しくされるのです。だから、天の聖なる都に目を注ぎ、私たちの国籍は天にあるのですから、地上において、「御国を来たらせたまえ。御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈りつつ、生きるのです。

  5節6節に、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」とあり、「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」という言葉もありました。

  ギリシャ語のアルファベットは、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタなどとあり、最後がオメガです。「α、ω」はギリシャ語アルファベットの最初と終わりです。αは創造の初めであり、ωは新しい天地の完成です。「私はアルファでありオメガである」とは、キリストが天地を始め、完成して下さる方であるということです。「事は成就した」とあるのは、そのことです。

  すなわち、神の言葉、キリストの言葉は必ず実現するのです。語ったことが実現するところに、神の真実があります。

  先週、Aさんという方が93才で召され信濃町教会で葬儀がありました。板橋大山教会で35年間教会会計として教会を支えてくださった方です。35年間毎週礼拝に欠かさず出席されました。16年前にお家から近い所というので信濃町教会に戻られました。

  Aさんの母方の祖父は熊本バンドの一人です。今、「八重の桜」というテレビドラマが放映されていますが、その方は新島襄同志社創立に関わりました。やがてドラマに登場するかも知れませんね。その後東京に出て、霊南坂教会設立にも携わりました。

  Aさんのご主人は通産省の役人で、後に有名な大学で教えましたが、そのご主人を毎日曜日家に置いて、この小さな教会の礼拝に出られたのです。ある時、ご主人から、「死ぬ時は、墓は別だね」と言われたそうです。むろん冗談です。ですが、教会の用で遅く帰る時は、玄関の戸を開けるときに毎回、「薄氷を踏むような気持ちで戸を開けた」そうです。

  自分のことをしゃあしゃあ喋らず、静かに神に仕えた寡黙の人です。しかし、自由学園で教師をした方で、「婦人之友」の友の会は全国に100以上ありますが、その会長もなさった方で、そういう方がこの小さな教会で35年間支えて下さったのです。

  ご主人が退職し、お二人でカナダの息子さん夫婦を訪ねられた時、ご主人は、「帰国したら、洗礼を受けたい」と言われたそうです。ところが、帰国するや洗礼を受けることなく亡くなられたのです。しかしこの言葉を大事にして、信仰を証する者として教会で葬儀がされました。

  先程申しましたように、神が始められたものは必ず完成する、完結するのです。成就するのです。神は、万物を新しくして下さるのです。渇いている者に命の水の泉から心ゆくまで飲ませて下さるのです。その者の目からことごとく涙を拭って下さるのです。神はその者の神になり、その者を神の子として迎えて下さるのです。

         (完)

                                          2013年3月17日



                                          板橋大山教会   上垣 勝


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