オオカミと羊が一緒に住む世界


国立オペラ座の北側にザッハーがありました。ホテル一階カフェでミーハーらしくトルテを注文しました。N
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                                           新しい一つの都 (中)
                                           ヨハネ黙示録21章1-6節


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  世界には様々な「なぜ」があります。なぜ、私はこんな場所に生まれたの。先程も司会者が、地震津波で被災した方々が何故と問っていると祈られました。なぜ、私だけを置いて家族みなを津波が奪ったの。なぜ、私は治療困難な病気になったのか。なぜ、戦争が続くの。なぜ、貧富の差がこんなに酷いの。なぜ、私は生まれ、どこへゆくの。なぜ、なぜ…。無数のナゼがあり、無数の謎をもって私たちは生き、時代、時代で、人生を正しく方向づけるために、良い理解を得ようとして努力し、だが、やがて死んでいきます。

  しかし信仰を持つ私たちは、自分の考えと理性、自分の心や感覚だけでこの世界を見ようとしません。また、知力を尽くしますが、知力だけで理性だけで人生を測り尽くそうとしないのです。

  旧約聖書のコヘレトの言葉に、「神のなさることは皆、その時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を思う思いを授けられた」とあり、更に「それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで、見極めることは許されていない」とあります。

  人の目だけで、世界と人生を測り尽くそうとしないのです。神が私たちにお授けくださる信仰の目を持って、聖書に聞き、その助けを借りて、世界と人生を知ろうとするのです。

  では、黙示録のヨハネと共に何を見、何を知ることができるのでしょう。信仰の目で何を見ることができるのでしょうか。

  それは新しい天地、新しい天地創造だと、黙示録は語るのです。夫となる人の前に、光り輝き、着飾った花嫁のごとく用意を整えて降って来る神の都です。この都が美しいのは、愛が漲(みなぎ)るからです。愛が光り輝き、愛があふれるからです。

  すると天の玉座から、「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」という声があり、更に「見よ、わたしは万物を新しくする」、また「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われたのです。

  「見よ」と、繰り返し呼びかけられているのは、極めて重要であるからです。今や、この新しい都を、聖なる都を仰げ。この都に住まれるお方に目を注げ。注目せよ。その時、あなたの涙はことごとくぬぐい去られる。悲しみの涙がある。怒りの涙も恨みの涙すらある。だが皆ぬぐい去られ、あなたは一新される。「もはや死がなく、悲しみも嘆きも労苦もない。」このことは真実である。

  あなたは苦難を必ず担っていけるようになるからです。それを喜びさえ持って担い、心身を鍛えるために担っていく。それらは私たちを、苦難を経験しなかった者たちよりも、よりよく鍛え、鍛錬するものとさえなるのです。

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  話は変わりますが、繁栄している都市には、日本でもアメリカでも色々な民族が集まって来ます。日本は入国を厳しく制限しているので、欧米と比較するとかなり少数ですが、それでも外国人は東京だけで40万人になりました。インド人は江東区江戸川区に多いです。確かインド人が町内会長をしている所があるそうです。ネパール人は新宿区に多いです。アメリカ人は港区です。板橋区は中国人が1万人ほどで、韓国・朝鮮人の約3倍です。

  要するに色々異なった種類の人が共に生きるのが都市です。ヨハネが見たのは、一つの都市です。この都市は単数形で書かれています。すなわち、人類が民族も国家も言語も、肌の色も超えて、一つとなって暮らすことの預言です。色々な隔ての壁を越えて一つとなって暮らす、神の新しい都です。この幻は、人間というものが内に持っている能力、新しい力、可能性の預言と見ていいでしょう。

  キリストの黙示、この方が啓示されるのは、人間というのは、日本人は島国のために今も排他的ですが、だが中々超えられない色んな壁を越え、色々なものが集められて、混じり合って、混ざってこそ真実に美しく造られて行く。ワクワクさせる可能性を内側に秘めているということです。それが、キリストが啓示され、キリストにおいて起こる新しい黙示であり、啓示である。人間がどこにあっても、いついかなる所においても、彼らを隔て分断する色々な障害や障壁を乗り越えて、共に一つになって暮らすものにして下さることの預言です。

  「わたしは万物を新しくする」という言葉は、それを暗示しています。

  イザヤ書11章にこうあります。「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子どもがそれらを導く。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。」こんなことがありっこない。しかし、これは隠喩です。

  イザヤが述べるのは、弱肉強食の世界ではありません。強い者が弱い者を飲み尽くす世界でもない。「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」共存の世界です。

  聖書は抽象的なことを考えているのではありません。政権が新しくなって「産業競争力会議」というのが生まれました。首相が議長になって推進する、産業にもっと競争力をつけようという会議です。そこでどんなことが今話し合われているか。「解雇を自由にできることを法律に明記する」という提案が出されました。「解雇が自由にできる。」働く者にとっては恐ろしい思想です。そういう考えは古い天地です。やがて滅びる世界だと黙示録がいう旧世界です。

  だがイザヤは、その日が来れば、いかなる者も害せられず、いかなる者も和解し、いかなる者にも平和があるという預言です。そのように、「万物を新しくする」と約束されるのです。

         (つづく)

                                          2013年3月17日



                                          板橋大山教会   上垣 勝


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