心の平和なしに仕事をする


                         東村山の里山に春が来ました。
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                                        キリストの平和に与る (下)
                                         コロサイ3章12-17節


  (前回から続く)

  この間、朝日歌壇に、「失語病む父が声あげ泣く部屋の扉を閉めてそっと立ち去る」とありました。娘さんも加わった家庭での介護でしょうか。痛みを抱いたお家の空気がそれとなく分かります。こういうのもありました。「カレンダーに別れた妻のつけた○かかわりなくもその日近づく。」今は妻とすっかり関わりがなくなってしまった。だが、いつか妻が付けた○がそのままあって、近づくにつれ心がどんどん疼くわけでしょう。現代社会は、実に様々な不安を抱えている方々が多くあります。また色々な事で心のバランスを崩しがちです。バランスを崩すとガタガタになり、不機嫌が襲います。

  そうだけれど、平和と喜びが命の中心にある時には、それらを乗り越えて行く力が湧いて来ます。

  「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」とありました。キリストの平和で心が占められ、満たされること。ここに解決の鍵があります。この世の平和ではありません。この世の平和は、多分に物の足りた安定した生活に根ざす平和です。そういうものでなく、キリストが与えて下さる平和で心が支配されるようにというのです。神に根ざす平和です。この世界を超えたお方から来る平和です。

  キリストは、「私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない」と言われました。キリストの中に満ち、キリストが持っておられる平和です。それは十字架の死に打ち勝って甦えられた、復活のキリストから来る平和です。それが授けられると乗り越えていけるのです。

  パウロは次の16節で、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」と語っています。「宿る」とは、キリストの言葉が私たちの中に「住み着く」ことです。「腰を落ち着けて住む」こと、豊かに「根付く」ことです。

  具体的なことになりますが、キリストの言葉が宿るためにぜひ聖書を通読してください。また、若い方はぜひ自分の心に響く言葉を覚えて暗記してください。若い時に覚えたものは、必ず将来皆さんの財産になり、力になります。記憶力が衰えたと思う方は、暗記しなくても、短いみ言葉をメモ用紙に書いて、一日に数回取り出してそれを味わってください。キリストの言葉を日に何回か反芻するのです。豊かに宿るようにするのです。

  お陽さまの光にたっぷり当たるには、陽だまりに出るしかありません。キリストの平和で心が支配されるには、キリストの言葉が心に豊かに住み着き、その言葉で満たされる他ないのです。

  キリストの言葉を繰り返し聴くことによって、キリストが私たちの所に来られます。キリストの平和が私たちを支配して下さるのです。今、平和のない方も、もしこれを数ヶ月も続けると、不思議とシャローム、神の永遠の平和、平安、落ち着きが戻ってくるでしょう。

  私たちが平和を作り出すのでなく、キリストが働いて平和を授けて下さるのです。主の霊が私たちを覆って、平和に与らせてくださるのです。平和は向こうから私たちの所にやって来るのです。

  夜遅く、体が疲れてヘトヘトになって、倒れるようにベッドに身を横たえることがあります。体が深く沈むような気がします。やがて眠りにつき、私などは明け方に一度目を覚ましますが、またウトウトしてやがて起床時間になります。すると、いつの間にか体の疲れがほぼ取れています。

  自分で疲れを取ったのではありません。もし自分で疲れを取らねばならないなら、人生は殆ど闇です。また朝目を覚ますと、外はいつの間にか明るくなっています。もし私たちが自分で朝の明るさをどこからか引っ張って来なければならないのなら、これ程しんどい事はないでしょう。誰が朝に綱をつけて引っ張って来れるでしょう。

  私たちを癒す平和は向こうからやって来るのです。神から、キリストからやって来るのです。そのような平和こそ本物の平和です。安らぎです。

                              (4)
  今日(こんにち)ほど平和を必要としている時代はありません。旧約聖書アモス書に、「見よ、わたしが飢饉をこの国に送る日が来る、それはパンの飢饉ではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことの飢饉である」とあります。

  今日の日本では、パンがなくて死ぬ人の数より、パンがあるのに、心の飢えや心に平和がないために死ぬ人の方が多いのではないでしょうか。また真に人間を助ける命の言葉、神の言葉がないために死ぬ人の方が多いでしょう。

  キリストは、この世が与える平和でなく、神の平和、絶対的な神の平和を私たちの魂に与え、「いついかなる場合にも対処する秘訣」を授けてくださるのです。

  何事も、心の平和なしにいい仕事はできません。そんな生活は逆立ちするような日々です。一日だって、いい日を送れないでしょう。何を為したかではありません。どこにあっても、平和と喜びを持って一生を送ること。そこに真の幸いがあります。

  最後に申し添えますと、今、平和がなくても恐れてはなりません。焦る必要はありません。必ず与えられます。「求めよ、さらば与えられん」とイエスが約束されたからです。

  今日は心の平和に重点を置いてお話しました。しかし社会的な平和も人間に欠かせません。平和の奥は深いのです。これを本当に学ぶには一生かかります。一生かかって、キリストの真の平和に与っていきましょう。

      (完)

                                          2013年3月17日



                                          板橋大山教会   上垣 勝


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