あと一日待てばいい


ウイーンで見るフェルメールの「絵画芸術」はまた違った訴えをします。背後にナチスによる歴史があるからでしょう。 
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                                          Aー被災地名ーからの手紙 (下)
                                          Ⅱテサロニケ3章1-5節

              (今回は実際の題をブログでは変更します。また登場する牧師は仮名です。)


                              (3)
  パウロは、「すべての人に、信仰があるわけではないのです。しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます」と書きました。

  パウロは「悪人ども」とか「悪い者」とか書いて、「すべての人に、信仰があるわけではない」と書いていますが、これを安易に受け取って、信仰のない人は悪人であるみたいな、悪い者であるみたいに考えてはなりません。中には、殆ど信仰に興味を示さない方々もあります。それはそれで、その方々は大切です。そのスタンスを大事にしてあげなければなりません。何かの時、信仰に対する間違った先入観が与えられたのかも知れませんし、今は時が熟さず、もう少し進むと信仰を求める芽が出てくるかも知れませんね。あと一日待てばいいのかも知れません。

  11月に皆で教会の狭い地面にチューリップの球根を40球ほど植えましたが、3ヶ月、死んでしまったかと思うほどウンともスンともしませんでした。だが、先週頃から緑色の芽を出してきました。同時に植えたクロッカスも芽を出しています。約3ヶ月、土の中でただ眠っていた訳ではありません。根を張っていたのです。十分根を張って、それから芽を出す。十分土台作りをしてから地上に芽を出し、養分を根から取って綺麗な花を咲かせる。

  「すべての人に、信仰があるわけではない。しかし、主は真実な方です。」その方々は、今はどう見えようと、こちらが先入観で見ちゃあいけない。もっと温かい目で見なければならない。「主は真実な方です。」主は全ての人に真実であり、真実な愛を間断なく注いでくださる方であるということです。3ヶ月、芽が出ないからといって、球根を掘り起こす人はいません。それは短気というものです。神はそんな無茶をなさらない。

  今日の最後の節に、「どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように」とありますが、忍耐と神の愛を悟らせるために、神は私たちに自然をお与えくださっているのかも知れません。

  また4節で、「わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています」と述べています。

  パウロは、テサロニケの信徒たちが、自分たちと心を合わせて進んでくれることに信頼を寄せています。すなわち、最初の申しましたように互いに連帯することによって、教会がより教会らしくなっていくからです。

  彼はまた、「主の言葉が、…速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように…」と書いています。「速やかに」と書いて、それと共に、「あがめられるように」と言うのです。「あがめられるように」とは、速やかでなく、終末的にそうなるようにという意味です。

  どういう事かと言うと、パウロは「終末的に、最後にあがめられるように」と願っているのです。最後的に、です。そのためには長い時間がかかるかも知れません。人間の願いでは「速やかに」です。だが、神のご計画は驚くほど時間がかかるかもしれない。しかし、最後的に、終末的に、神様の御心がなって神の御名があがめられる。人間の名でなく、神があがめられる。そのことを彼は願うのです。

  東日本の被災地Aでも、4月になればチューリップの綺麗な花が最後的に美しく咲くように、そのように神の御名が最終的にあがめられるように、祈らせて頂きたいと思います。

      (完)

                                          2013年2月24日



                                          板橋大山教会   上垣 勝


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