被災教会の美辞麗句でない姿。


          「雪中の狩人」の日常性と非日常性のコントラストに感動を与えられました。ウイーンで。
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                                          Aー被災地名ーからの手紙 (中)
                                          Ⅱテサロニケ3章1-5節

              (今回は実際の題をブログでは変更します。また登場する牧師は仮名です。)


                              (2)
  さて、今日は「Aー被災地名ーからの手紙」という、余り説教題にはない生々しい題をつけました。昨年、震災復興支援のためにバザーで、皆さんが働いて下さいました。それで、震災復興のために献金をさせて頂きたいと、東日本の4教会と、原発事故などによる外国人被災者への支援活動団体とに手紙を出して、郵便か銀行口座を教えて頂こうとしました。

  その中で、A教会の大山一子牧師から手紙を頂いたのです。そこには、まず感謝と郵便口座が書かれていました。それに続いて、A教会は、「津波の被害が大きかったこともあり、全国的に注目され、献金が集まって」いること。教会の「修築に関しては金銭的には恵まれております」と書いてこられました。ですから、焼け太りではないですが、再建できるだけの献金が全国から寄せられたのでしょう。そこで、他の教会の事情を書いて、「変更が可能なら、B教会に捧げて欲しい」とありました。

  私は現在の女性牧師を直接知りませんが、随分と謙遜な方だと思いました。建築には幾らお金があっても足らないからで、あればあるでもっといいものを作りたい欲が出るからです。それで私たちの役員会で既に金額を決めていましたが、「恵まれている」という言葉を信じまして、献金を他の教会に振り分けようと考えました。ただ、その後、念の為にA教会の財政を調べましたら、礼拝出席は私たちの教会よりかなり少ない。震災前も牧師謝儀は十分でないことを知りました。だがその中で、ただでも伝道困難な東日本で、懸命に伝道に当たって来られたわけです。ちなみに、この方は東大を出て牧師になった人で、進んで困難な地で伝道している人です。

  私は東京や都会が伝道の最先端と思いません。地方の諸教会が、普通でも困難な状況の中で周囲の人たちに希望の光を掲げていい戦いをしておられる。そのような所は伝道の最前線だと思います。

  私が調べたのは震災前の統計ですから、町自体がかなり壊滅し再建が進みませんので、震災後は礼拝出席も教会員も減少した筈ですし、会員の中には大変難儀を抱えている方もいるでしょう。

  それで、Aには一旦は送らないとしましたが、教会建築のためでなく、大山牧師の家庭への支援としてお送りしたいと申し上げて送りました。

  横にそれましたが、大山牧師から頂いた手紙の続きに戻ると、「私どもの教会のためには、お祈りをお願いいたします」と、献金が集まっているので、お金でなく、祈って頂きたいと書いて来られたのです。これは今日の箇所にあるように、パウロがテサロニケ教会に、最後に求めたことではないでしょうか。

  そして、祈ってもらいたい内容をこう書いておられました。「祈って頂きたいのは、修築が速やかになされることが第一です。」パウロと同じように、「速やかに」と書いておられました。そして、「これは、切実な教会員の願いですが、対立した意見の折り合いをつけるのに難儀しています」とありました。

  震災や津波、その支援。しかし当の教会では、お金の問題だけでなく、いや、それよりもっともっと深刻な人間の問題。意見の折り合いをどう付けるかというような大変難しい困難が教会を襲っていると。そこを祈って欲しいと書いておられるのです。私は、そういうことが各地で起こっているのでないかと想像していましたが、普通の人間社会で起こることが起こっていると聞かされて安心するというか、美辞麗句でない本当の姿を知って納得させられました。それで牧師家庭への励ましの必要を痛感しました。

  パウロは「道から外れた悪人ども」と書いていますが、この方はむろん、悪人どもとは書いておられませんし、そう簡単に二分するのは疑問に思います。だが続いて、「教会員の間に亀裂が生じることは避けられないかも知れません」と書いて来られまして、そういう状況に立ち至っておられる実情を知ったのです。

  牧師として、これはきついですよ。地震津波。だがその後、教会はそれ以上に大きな激震に内部的に見舞われたのです。

  先ほどあったように、パウロは現実から目を逸らさない人です。だから、「兄弟たち、わたしたちのために祈ってください」と求めたのです。A教会も目の前に起こっている難題から目を逸していないから、「祈って下さい」と切に求めて来られたのだと思います。

  こうありました。「修築後の教会の歩みについても祈って頂きたいです。」教会の今後のあり方です。「…教会が修築されたあと、教会はこの地域でどのような存在になるのか。災害直後のように色々な人が出入りする地域の拠点となるのが私の願いですが、それほどの力はないかも知れません。私自身、2年近い被災生活で疲れていますし、教会員も高齢者、病人など多く、無理はさせられません。しかし、弱い私たちが神様に用いられていく道を求めて行かなければなりません。そんなことを巡って、教会員の間に亀裂が生じることは避けられないかも知れません。」

  復興支援と周りで騒ぎます。テレビなどでは被災者支援の明るいニュースで気を紛らわすところもあります。しかし現地の当事者たちの間では、罪の問題がドス黒く渦巻くことがある。それが本来人間の世界にあるわけで、大災害が起こったら一旦それは中止というわけには行きません。

  こうも書いておられました。「災害は、人間性を露わにします。そして傷つけあう事も多々あります。そんな災害はもはや人災ですが、災害に生きる人々が、教会に集まって来ることで、安らぎを与えられるよう、乗り越えて行くことができるよう、お祈り頂ければ幸いです。人と人を分断する悪の力ではなく、意見の違いを認めながら一つになる神の力が働くよう、お祈り頂きたいと願っています。」

  頂いたこの婦人牧師の手紙は、浮ついていた私たちの足を落ち着かせ、しっかりと現実に棹さしながら信仰に根ざして生きることへと向かわせるものだと思います。「真に人間らしい奉仕は、全て時間がかかるものです。」時間をかけないと本物は生まれません。一人ひとりを大切にするから、愛するから、時間も手間もかかります。しんどいです。愛することはしんどいことです。それをこの教会はしておられると私は思います。

  私たちの板橋大山教会のリフォームで、違いがありながら多様なものが一つにされて進んで行って、あの地震の直前に完成したように、神の力が働いて下さるように、A教会と大山牧師のためにお祈りしたいと思います。

      (つづく)

                                          2013年2月24日



                                          板橋大山教会   上垣 勝


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