サタンはなぜイエスを試したか


                         時期はずれの写真ですが…
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                                          どこにいても君を守る (中)
                                          詩篇91篇1-16節


                              (2)
  この詩篇は巡礼の歌だと言われています。人々はこの歌を歌いながら、山の上にある町エルサレムに向かって旅したのです。当時の旅は危険でしたから、エルサレムに無事に到着した時の喜びは非常に大きかったでしょう。

  同じ思いを持ってやって来た多くの同胞に会って喜んだでしょう。だが、一番の望みは神との交わりです。危険を冒して旅をしたのは、いと高き神のもとに身を寄せ、その陰に宿るためです。そして主に向かって、「わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方」と申し上げるためです。

  私自身を振り返ると、しばしば神のもとに走って行ってその陰に宿る自分がいます。神に身を寄せると不思議にすぐ落ち着き、元気が回復するのです。傷ついたり、ふさいでいた心が晴れ、「よし、やるぞ」という気が戻ってきます。「神の陰に宿る。」そういう人が、世にいてもいいでしょう。3節にあるように、救い出し、助け出して下さるからです。「神のまことは大盾、小盾」とあるのは、その通りです。私たちを守り、盾のように脅かすものを防いで下さるからです。

  福音書を見ると、イエスも当時の習慣に従って両親とエルサレムに上られました。その時、この詩篇を歌われたでしょう。

  イエスの神信頼は、この信仰者や私たちの信頼を遥かに超えて、父なる神への堅固な本物の信頼であったに違いありません。それは、「神である主を拝み、ただ主に仕えよ」とあるような、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」とあるような、神への全幅の信頼、喜びに溢れた確信であったでしょう。イエスは巡礼の間、11節、12節の「主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る」という言葉を歌いつつエルサレムへ向かわれた筈です。

  神殿の最も奥にある至聖所には、契約の箱が置かれ、箱の中に十戒が刻まれた2枚の石の板がありました。箱の上には2人のケルビムと呼ばれる天使たちが翼を広げて箱を覆っていました。神のみ翼の象徴です。巡礼者たちは神のみ翼の陰に宿るためにやって来たのです。その翼の下で、傷を癒し、恐れを取り去り、逃れ場、砦、信頼する神に出会って支えられたいと願いました。

  イエスの全生涯は、この神に信頼し、この神に、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして仕えることでした。そして隣人を愛し、病む人や悲しむ人、虐げられている人、そして敵のために祈りつつ、生涯その歩みを貫かれました。

  さて、ここでマタイ4章の荒れ野の誘惑の話に飛びますが、サタンはそこで、イエスを神殿の一番高い屋根の端に立たせて、エルサレム巡礼で歌われた、この神へのまったき信頼の歌を引き合いに出して試みたのです。「あなたが神を信頼する神の子なら、飛び降りたらどうだ。詩篇91篇に、『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。あなたはこの歌を歌って巡礼したことがあるだろう」という訳です。むろん、この言葉は今日の11節、12節の引用です。サタンというのは聖書に熟達しているのですね。熟達して人を試みるのです。

  サタンがイエスを連れて行ったのは、神殿の一番高い屋根でした。そこは世俗の高さと比べれば比較にならない高さであり、世界の最高峰を意味するような尊い場所です。

  サタンはそこで、「あなたは最高の神信頼をしていると言う。ならば、天使があなたを支えると書いているのだから、無条件的に、絶対的に神に信頼して、ここから飛び降りてみなさい」と求めたのです。

  イエスは、既にサタンの第1の試みに対して、「人は、神の口から出る一つ一つの言葉によってだけ生きる」と語られました。また第3の試みには、「神に仕え、ただ神だけを拝みなさい」と語られます。「そこまで神に信頼するのなら、ここから飛び降りることができるだろう」と誘ったのです。実に巧妙です。

  サタンの目的は何でしょう。単に飛び込めるか、飛び込めないかではありません。それは、イエスが、「自分自身のために神を我がものにしようとする」ことです。イエスが、「神の意志を真剣に考えるのでなく、神が喜ばれる命令に服従するのでなく、自分の最高の楽しみと満足のために、神を試す」(K.バルト)ということです。天使がイエスの足を支えた時、イエスが勝ち誇って、「自分の信仰はすごい。ヤッター!」と叫ぶようになるためです。すなわち最高の神信頼をすることによって、神の栄光でなく、自分自身の栄光を求めるようになることです。

       (つづく)

                                          2013年2月17日



                                          板橋大山教会   上垣 勝


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