翼の下に潜り込んだヒヨコ
アベノミクスでどれだけ高い塔を築いても
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どこにいても君を守る (上)
詩篇91篇1-16節
(1)
「いと高き神のもとに身を寄せて隠れ、全能の神の陰に宿る人よ、主に申し上げよ。『わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方』と。」
この詩篇は、90篇と共に古くからイスラエルの人たちに親しまれ、人口に膾炙して来た歌です。
神は「避けどころ」である。「砦」である。神に「身を寄せ」、神のもとに「宿る人」を、神は巧妙な「罠から、陥れる言葉から」、あらゆる災いから「救い出してくださる。」いと高き神に身を寄せる者、神のもとに宿る者は何と幸いなことか。90篇はそういうことを語ろうとしているのでしょう。
この信仰者は神に全幅の信頼を寄せ、確信に満ちて神の真実を歌っています。「飛んで来る矢も…疫病も…病魔も…、また獅子や毒蛇も」、恐れることはないと実に勇敢です。ここまで信頼する方を持ち、このような隠れ家を持ち、このような避け所を見出した人は、本当に幸いだと思います。
4節は、「神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる」と語ります。昔は、農家の庭先で、生まれて間もない可愛いヒヨコたちがピヨピヨ鳴いて遊んでいました。しかし犬などが来ると、一斉に雌鶏の翼の下に潜り込んで泣き止み、暫くジッとそこにいます。やがて安全だと分かると、またピヨピヨ鳴き出して翼の下から出て来ます。よく見かける光景でした。彼らは母親のところでしばらく休むと、また元気に出ていくわけです。
ロシアに隕石が落ちて千人以上が負傷しました。超音速で大気圏に突入し、巨大な衝撃波が生じて、一瞬、戦争が勃発したと思い恐れた人もあったそうです。私たち人間は宇宙の事象からすれば、微小な存在だと思いました。この様な小さな弱い存在ですから、何かあるとすぐ潜り込める翼の陰、安心できる逃れ場、隠れ家を持つことができればどんなに幸いでしょう。ヒヨコも人もあまり変わりません。
ピストリウスという、去年のロンドン・パラリンピックでも英雄になった義足のランナーが殺人罪で拘束されました。栄光が去り奈落に落ちて心痛みます。南アフリカの名誉を担う人物が極悪人物になったわけです。イギリスの記者が書いていましたが、これはシェークスピアだけが書ける悲劇だと表現していました。オセロです。いかに体を鍛えても、心が鍛えられなければ。またいかに鍛えられても、心を守って癒してくれる砦、避けどころがなければなりません。
グワムの事件でも、犯人の青年は「怒りを鎮められなかった」と言っているそうです。ここが最も大事で、最も難しいことです。
私たちは心が癒され、ほっと寛げる我が家が必要です。安心して帰れる、傷ついた心が回復される暖かい家です。歓迎される場所です。今日あったことを気がねなく話せ、耳傾けてくれ、しくじったことも、嬉しかったことも腹蔵なく話せる場所です。安全で守られ、愛され受け入れられる所です。
だが今日、多くの人にとって、安心できる我が家がありません。帰っても十分な対話や相互の信頼がなく、行き違いが多い。引っこ抜かれた根無し草のように、孤独で、砦となって宿る所がない。これは悲しいことです。
社会自体が急激に変化し、若者さえついて行けず人生を流浪するのです。座標軸となるものがない。弱肉強食の世界で、絶えず強者が支配してめまぐるしく変化しています。若者たちも疲れ、今疲れていない若者も、一旦何かに躓き、エスカレーターから降りるとなかなか社会に復帰できません。
砂漠のようになって歪んだ社会の中で、真に支えとなり、私たちの避けどころとなるものはぜひ必要です。教会の使命は大きいと思います
(つづく)
2013年2月17日
板橋大山教会 上垣 勝
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