ひさのさんのこと


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                                          M.ひさのさん記念礼拝
                                          第2コリント6章10節
                                          2013年2月10日


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  M.ひさのさんは、1917年(大正6年)8月12日に南アルプス山麓の村、曲輪田のT家のご長女としてお生まれになり、先月17日の夕刻、主の御元に召されました。95歳でいらっしゃいました。ロシア革命の年に生を享け、世界大恐慌満州事変の時代に10代を過ごされ、20代半ばまで太平洋戦争、15年戦争を経験し、結婚、離婚、再婚、一人娘のK子さんの死別があり、それからほぼ50年間、一人でよく生き抜いて来られました。

  山梨から静岡に女工として働きに出られたのも、昭和はじめの重苦しい時代背景があった筈です。それから時代はずっと飛びますが、やがて小学3年生のK子ちゃんがきっかけで、大山教会に繋がるようになられたのは46歳の時でした。担任でこの教会員であった小林ひろ子さんと慶子ちゃん、そして三滝さんのその後のことなどは大事ですが、その辺は暫く前の礼拝で申しましたし、今日はこの後、O先生ご夫妻やその他の方々からお話があろうと思いますので、省かせて頂きます。

  ひさのさんは普通の方以上に、色々話題を残して逝かれた方でしたが、最後の6年間ほどは本当に幸せな所で過ごされて、それまでの約90年に及ぶ長い苦難の時を思うにつけ、私たちは神のみ業と思い心から嬉しく思いました。

  これにはO先生ご夫妻の、身元引受人としての献身的なご奉仕がありました。家族以上の親身のお世話があったからです。白十字ホームからの呼び出しがある度に、無理をしても町屋からまた今の南千住から東村山の白十字まで駆けつけ、呼び出しがなくてもお訪ね下さいました。その数、何十回でしょうか。また先日はひさのさんの遺言だと言われて、多くのご献金を大山教会にお捧げ下さいました。貧しい方がこんなに多くのものを教会にお捧げ下さったのです。神のなさることは実に不思議です。

  今日は、長くお話しするつもりはありませんが、白十字ホームの小奇麗なお部屋をお訪ねすると、いつも大型聖書が置かれていました。今回、納棺の時にその聖書と賛美歌を柩にお納めし、翌日一緒に火葬にされました。

  聖書を柩に入れる時に、パラパラとめくって書き込みや傍線を引いた箇所を詳しく見せて頂きましたら、黙示録のあちこちに傍線があって、ひさのさんが教会に来はじめてから、前野町の老人住宅におられたころまでの苦労を思いました。

  ご存知のように、黙示録の最後の章は、「主よ、来てください。キリストよ、来てください。希望の主よ、早く来て、私たちを助けてください」といった、キリストが再臨して、迫害や苦労の中から助け出してくださいと、切々と求める声が書かれていますから、ひさのさんはそういう求めを心に切に持って、キリストに叫び求めておられたのだと思いました。実際、そうだったと思います。

  更にあちこち繰りましたら、先程の第2コリント6章10節に赤で傍線が引かれているのが目に留まりました。「悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、全てのものを持っている。」全聖書でここだけ、強く赤の傍線がありました。ここに強く心が留まったからでしょう。その前には、「褒められても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分を表している。…人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、殺されず」とあり、続いてこの、「悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、全てのものを持っている」とある箇所です。

  ひさのさんはこの言葉に心を留め、この言葉から慰めを与えられ、この言葉が心の中深くに留まっていたのでないかと思います。

  8年前に教会に赴任して、ひさのさんを初めて老人住宅にお訪ねした時、初めてお会いする私に「神様は不公平だ」と言われて、面食らったのを覚えています。「神様は不公平だ」と言うんです。この人は信仰がないなと内心思いました。やがて知ったのは、そう言うしかないほど、様々な苦労を舐めてこられたことです。貧しい家庭に生まれたことも、女工生活も、離婚も、娘さんとの別れも、再婚も、貧困も、病気も、K子ちゃんの死も、次から次へと襲いかかる不幸に遭って、「不公平」と叫ばざるを得なかったと思います。K子ちゃんさえ生きていれば、今ごろは60歳前後の頼りがいのある婦人になっておられる筈です。

  イエス様は私たちを思い遣られない方ではありませんから、ひさのさんが、子どものようにそう叫ぶのもすべてお許しになっていたと思います。

  ひさのさんは強い記憶力を持ち、世間をよく知っていました。大変独立的で自尊心のある魂を抱いておられたので、人の世話になりたくないと思っておられました。それが、人から見ると我の強い人に映ったり、好き嫌いの激しい人と映ったり、ズバリ物を言う人と映ったかも知れません。だが、ひさのさんは自分をしっかり持つ方だったのだと思います。

  「神様は不公平だ」と公言して憚らなかったわけで、一種ヨブに似て、神に対してもズバリ物を言う人であったと言えるでしょう。

  しかしひさのさんの心には、キリストと出会う中で、「悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、全てのものを持っている」という思いが、どこかに宿って行ったに違いありません。神にあっての豊かさです。

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  ただ、この聖書はO先生が贈られて、その傍線は先生が引いておられた箇所でないかという説もあります。そうなると今私が申しましたことは、すべて根拠がなくなりまして、私は嘘を話したとなり大変慌てます。それでO先生に確かめました。そうしたら、「そうだったかなあ」なんておっしゃって、どうも真相が分かりません。しかもひさのさんと一緒に聖書もすっかり焼かれましたからもはや藪の中です。誰も確かめようがありません。今はここに置かれたお骨と一緒に灰になっています。

  ただ私はこの赤い傍線が先生でなく、ひさのさんが引かれたと断定したい点が一点あります。

  と申しますのは、6年前に、もう前野町では一人で生活できない状態になりましたので、東村山の白十字老健施設・白光園に移ることになって、前野町から介護タクシーで白光園に移る5月14日の朝、O先生ご夫妻とNさんもおられて、これでこのお部屋と最後の別れをするという段になり、私が畳に座ってお祈りしますと、直ちに「本当に神様は小さい者を見捨てられないんですね」と言われました。実に真に迫った言い方でした。今も耳の奥に残っています。一人では生活ができない状態でしたので、神が白光園を用意して下さったと心から確信している様子でした。またその時、K子ちゃんのことを思い出して、「10歳の娘と、イワシ3匹で飢えを凌いだこともありましたよ」と言われました。

  これは何よりも、「死にかかっているようであるが、殺されず、悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、全てのものを持っている」という表明ではないでしょうか。これに赤い傍線を引かれたのは当然です。

  旧約聖書士師記14章に、サムソンが、「食べるものから食べ物が出た。強いものから甘いものが出た。それは何か」と、ペリシテ人たちに謎を掛ける場面が出てきます。

  ひさのさんの95年の長いご生涯から何が出たでしょう。貧しく、辛く、不公平に見えたご生涯から、最後には主にあって味のある食べ物、甘い食べ物が私たちの前に供されたのです。辛さと苦しさに涙も混じって、それが発酵して味わいを深くした食べ物です。まさにこれは主がなされたことで、私たちの目には大変不思議に見えます。

  今日は、お骨の周りに優しさいっぱいのサイネリアの立派な鉢植えを幾つも飾らせていただきました。鮮やかで色とりどりのサイネリアの植木鉢です。また美しい真っ赤なチューリップのいずれも十株以上ある鉢も2つあります。真っ直ぐ天を軽く突くようなチューリップ。その他のものもあります。

  ひさのさんについての色々な印象、感想を皆さんはお持ちでしょう。このあと第2部で、それらが皆さんの口から語られることになるでしょう。皆さんのお話は概ねこうこうこういうことだろうと分かっています。すみません。だが私は、この花のような優しさと色合いを持つ三滝さんが、私たちには殆ど知られなかった、いつの日かにはあったであろうと思い、飾らせていただいたのです。女性的な、しとやかな、また愛情をにじませた、優しい母の色合いも持っていた在りし日のひさのさんです。

         (完)

                                          2013年2月10日




                                          板橋大山教会   上垣 勝


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