パウロとジェーコブ・バーネット君のこと


                            ある日のテゼ
                               ・



                                         救いとなる真理を愛そう (上)
                                         Ⅱテサロニケ2章1-12節
 

                              (序)
  久し振りに第2テサロニケに戻って来ました。テサロニケ教会はパウロの伝道によって西暦49年頃に生まれました。その後この教会を通して、マケドニア州や周辺の諸州にも主の福音が証され、苦難の中にありながら確信を持って働くその信仰が至るところで伝えられたようです。

  ところが、時代がやや移った第2の手紙の頃になると、この教会に動揺や混乱が起こったようです。それは「主の日は既に来た」と触れ回る人たちが教会に入って来たからです。それが今日の所で書かれていることで、彼らのスローガンが「主の日は既に来た」という言葉であった。

  彼らは、終末を強調する熱狂主義者であったと言われています。世の終わりは既に来た、主の日は来た、キリストが再臨したと確信を持って熱狂的にまくし立て、仕事も家族も捨てて熱狂的に伝道活動をしたのです。

  今日もそれに似た団体があります。だがパウロは熱狂主義を戒め、第1の手紙と共通しますが、落ち着いた生活をして自分の仕事に身を入れて励みなさいと勧めたのです。当然のことです。

                              (1)
  今日の所でまずパウロは、「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい」と書いて、キリストが来られること、神の国のみもとに集められること。すなわち世の終わりについての彼の考えを書いたのです。

  昨年末、マヤの世界滅亡予言が話題になりましたが、世には不安を抱える人が非常に沢山います。この人たちの中には、終末、世の終わりと言われると血相を変えて日常生活が手につかなくなる人がいるのです。全てではありませんが、その言葉に乗せられて動揺して分別をなくす人たちが中にあるのです。

  普通はクリスチャンでも終末などあまり本当にしていませんね。でしょ。地震が来るということは信じても、キリストが来られると信じていない。災害が起こったら町内はどこに集められるかは確認していますが、キリストが来て私たちが集められるとはあまり考えていない。現代のクリスチャンの多くは冷めています。

  だが、今日の箇所は過敏に反応する人たち、過敏すぎる人たちのことです。どっちも困るのです。中道がいいのですが、右左の極端に行く。それでパウロは諭したのです。

  このスローガンを触れ回る人たちは、「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいた」からです。「わたしたちから書き送られたという」と書いたのは、自分たちはそんな手紙を書いた覚えはないと言いたいのでしょう。そんな手紙は偽書簡だということです。

  だがそんなことを言う者がいても、「すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。誰がどのような手段を用いても、だまされてはいけません。」落ち着いて行動しなさい。乗せられてはならない。騙されちゃあならないと書いたのです。

  私たちキリスト者は主が来られる日まで、現在しているように礼拝を続けるでしょう。主が実際に来られたら、天に集められてそこで礼拝をするでしょうが、それまでは教会堂で礼拝を持ち続けるでしょう。それが地上を旅する教会の姿です。

  「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって」とありました。「霊や言葉によって」とは、神の霊や言葉を直感的に示された、啓示を受けたと語る人がいてもという事です。

  だが、「動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。誰がどのような手段を用いても、だまされてはいけません」と、彼は言葉を重ねて説いています。この背景には、相当な教会の動揺と混乱があったことが窺われます。

  更に、「誰がどのような手段を用いても、だまされてはいけません」と、騙すという強い表現をしました。

  「どのような手段を用いても」という言葉は、よく選び抜かれた言葉です。「どのような手段」というのは、言葉の巧みさを指すでしょうか。現代人は科学や数学に弱いですから、現代なら数字や科学的データを並べるやり方を指すでしょうか。

  「誰が」とは、今日的に言えばたとえ牧師であってもということです。有名な神学者やカリスマ的人物が言ってもということです。神以外の者を神と仰ぐなという意味です。

  暫く前からジェーコブ・バーネット君という14歳のアメリカの少年が話題に上がっています。実に聡明で、何百人かの前でも涼しい目つきで快活に話す少年です。情熱的にユーモアを交えて話すのが魅力的で、一目見るだけで女も男もファンになりそうです。

  この聡明な少年は3歳の時自閉症と診断されました。しかし4歳で既にケプラーの法則を解いていたそうです。8歳で高校を卒業してインディアナポリスの大学に入り、今14歳で博士号を取得中です。聡明なはずで、IQ170の天才少年でアインシュタインを超えていると言われます。講演する姿がインターネットでも見れますが、実に活気に満ち、ユーモアをもって会場ともやり取りして話しています。次の時代のカリスマ的な科学者更には教育者になるかも知れません。

  というのは、彼は今、「学ぶことをやめ、自分の頭で考えよう」という教育論を説いているからです。日本人はかぶれ易いですから、そのうち教育ママたちがかぶれるかもしれませんね。追っかけなどをして。

  彼は変な人間ではありませんが、決してそんな人間ではない。ただ、もし言葉巧みに騙すカリスマ的人物になれば、多くの人が魅了されその手の内に嵌るでしょう。

  私が今言いたいのは、「誰が、どのような手段を用いても」、どんなに優れた人物が世に登場しても、「騙されてはいけません」とパウロは忠告するのだということです。

        (つづく)

                                          2013年2月10日




                                          板橋大山教会   上垣 勝


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