「神は不公平だ」と言っていたのに…


                  草原を風が渡って行くのが感じられ思わず行きたくなりました。
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                                             誰の仲間ですか (中)
                                             ルカ12章8-12節


                              (2)
  さてイエスは、「誰でも人々の前で自分を私の仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す」と言われたのです。「人の子」というのはイエスご自身を指しています。

  先程の聖餐に与るということは、自分はイエスの仲間だと言い表すことでしょう。イエスご自身を、その恵みを意味するものを、身を引き締めて受け、厳粛な思いで味わいながら、自分をイエスの仲間と言い表すことです。イエスは私を愛してくださるという喜びの告白を、パンを受け、盃を受けることで言い表していると言っていいでしょう。そしてそれは、その恵みに連なった者として、教会の外でも喜びをもって「自分を私の仲間であると言い表す」ことになっていくのだと思います。

  「言い表す者」とあるのは、今申しましたように告白する者という意味です。ある英語訳は、「隠さず言い表す」と訳しています。自分はイエスのものだ、自分はイエスに属する者だと隠さず言い表すのです。色々不都合な場合がありますが、たとえ都合の悪い所に置かれていても、大事な所では隠そうとしない。

  すると「人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す」と、イエスは言われたのです。

  私たちには人間的に色んな欠点や弱さがあります。そんな私たちをも、イエスは少しも恥じず、神の前で公然と、「この人は私の仲間です」と言って下さるというのです。ヘブライ書に、「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」とあります。誰が恥じても、イエスは私たちを恥に思われない。何という光栄、誉れ。何という幸せでしょう。イエスは私たちを仲間と呼び、兄弟姉妹と呼んで肩を組まれるのです。

  17日の夕方、先週の木曜日に、Mさんが95歳で召されました。Mさんは1964年に洗礼を受けましたが、きっかけは一粒種の3年生のK子ちゃんが担任のK.H.先生から導かれて教会に来たことです。極貧の上、全く構われない生活のために荒れる一方のK子ちゃんを、どうにかしてまともにしてあげたいというK.H.さんの切なる願いからです。だがK子ちゃんは夕拝に4、5回来ただけで盲腸で亡くなりました。

  それがきっかけでMさんが洗礼を受け、やがて教会の前のアパートに引っ越してきて、教会に入り浸りになったり、ひねくれたり、衝突したり、嫌なことがあって長く教会に来なくなったり、また来たり、色んなことがあったようですが、O牧師先生夫妻が苦労して色々お世話をされ、普通の人以上に思い出を多く残す人になりました。

  Mさんが教会員になってから、やがてK.H.さんは氏家教会の牧師の後妻になられました。しかし「教会に迷惑をかける人」を大山に置いて自分はお嫁にいけないと言って、Mさんを氏家に連れて行くと言われたのです。実に責任感の強い方です。それで下見に行ったが、あんな田舎は嫌だとMさんが言い出して行こうとしなかったのです。

  K.H.さんは悩まれて、100坪の土地を持っておられたのですが、Mさんを大山に置いていくので、この土地も教会に置いていきますと言って、氏家に行かれたのです。土地を教会に献げられたのです。

  それがあって当時教会は大きく建て増ししました。それができた始まりは、K子ちゃんがいたからです。また立派な教会墓地が出来たのも、K子ちゃんが亡くなり、Mさんが幾らかの献金をなさったのがきっかけですから、元はK子ちゃんが始まりです。この教会の現在の骨格は、この小さな女の子によって作られたといっても、それほど大きな間違いではありません。

  O牧師夫妻が身元引受人になり、やがて特別養護老人ホーム白十字ホームに入って、老健施設と併せて5年9ヶ月、温かく見守られて全く平和な中で召されたのです。89歳頃までは貧しさと不幸と明日への不安の連続でした。「神は不公平だ」という言葉を89年間投げつけて回った人でした。8年前に初めてお会いした私にも、その言葉を投げつけられました。

  ところが、89歳以降の最晩年は良い施設に迎え入れられて、人生で最も幸福な日々を送られました。誰しもMさんのように白十字で召されたいと羨まれる程でした。お元気なときには、そこで開かれている聖書の集いにさえ自由に出て来られました。

  イエス様はMさんを愛して、Mさんとも肩を組まれたのです。人は色々言いました。人が見れば、欠点も問題もいっぱいあったでしょう。だがMさんは私の仲間だ、私の兄弟だ、姉妹だ。私は彼女を仲間にして恥と思わないとイエス様は言われたのです。私たちにもそう言われているのであって、イエス様の広く深い愛を思わずにおれません。

          (つづく)


                                          2013年1月20日



                                          板橋大山教会   上垣 勝


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