一羽の小雀とイエス


                    素晴らしいタペストリーの作品でした。去年の光風会展で。
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                                           一羽の小雀とイエス (下)
                                           ルカ12章4-7節

          
                              (3)
  イエスは続いて、「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、沢山の雀よりもはるかにまさっている」と申されました。

  アサリオンは貨幣の単位です。1アサリオンは1/16デナリ。1デナリは労働者1日の賃金です。今は、日雇い労働は8千円ほどでしょうか。もっと低い場合も1万5千円程のもあります。で、8千円だとすると、その16分の1は500円ですから、その2倍は千円です。これが五羽の値段ですから1羽200円でしょうか。

  焼き鳥では雀は幾らぐらいですか。大山には焼き鳥屋は何軒もありますが中々ありませんね。どこもやっていないようです。中板に「すずめ」という飲み屋があったので、電話で聞きました。雀の焼き鳥をしていますか。やっていないんです。看板に偽りありって言いませんが、せっかく期待していたのにがっかりでした。

  寒雀というのは絶品だそうです。この辺では新橋辺りに行けば食えるかもしれませんが、インターネットで調べると、今日は都合よく京都出身の方が来られていますが、京都の伏見稲荷の寒雀の焼き鳥は有名らしく450円です。ただ中国産ですね。雀は最近、東京ではまれにしか見かけませんからね。焼き鳥にされたからでなく、環境の悪化が原因だと言われています。

  雀のことで色々チュンチュン囀(さえず)りましたが、イエスは、「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか…」とおっしゃったのです。

  雀は一羽200円、ごく低い存在である。その存在は軽く、価値は低く、耐えられないような存在の軽さでしかない。確かに大間産のマグロ一本1億5千万円なんですから、雀はかわいそうなぐらい安い存在です。だが、「その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。」小雀一羽にも、神は愛を持って向かわれる。目を留めておられる。決してお忘れにならないと言われるのです。

  「それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、沢山の雀よりもはるかにまさっている。」主なる神の愛です。小雀一羽もお忘れにならず、髪の毛一本までも数えておられる神の愛の深さと配慮です。

  私は30歳で牧師になり、福岡の田舎の教会に赴任しました。暫くして、その町に浩明寮という身障者施設が誘致されました。そこに西崎松男君という進行性筋ジストロフィーの私より5歳程下の青年が入って来ました。クリスチャンの面白い青年で、あと数年の命でしたが部屋を訪ねると8人部屋はいつも笑いがありました。明るい青年でした。

  弟思いで、弟も筋ジスでした。同じ県でしたが、北部のかなり遠い所にある施設に入っていましたが、弟と将棋を指していました。エッ?どんなふうにってお尋ねでしょう。葉書に将棋盤を書いて、そこに駒を配置して、一手動かしては葉書を出し、弟から一手動かした葉書が戻って来ると、また一手駒を動かしたものを書いて出す。そんな風にして弟を励ましていました。気の遠くなるような話ですが、自分は兄貴だから、弟を励まさなければならないというんです。兄貴としての責任感が強く、さすがは九州男児だなと思いました。教えられましたね。

  ある時、こんなことを言いました。「お札(ふだ)やお守りを買って来てくれる人に、こう言ってやるんです」と言って、「こういうお札は生きている間は気休めになるかも知れないが、死ぬ時には何ら助けにならない。私たちは、イエス・キリストが生きている時も、死ぬ時も、私たちの唯一の慰めです」と、言っていました。

  彼は小学校もろくに行けなかった男でしたが、人間としてもキリスト者としても立派でした。確か3年生の時に立てなくなり学校に行けなくなったんです。5歳ほど下でしたが、人は学問によらないということを本当に教えられました。

  神は雀一羽もお忘れにならない。いと小さい者に神の愛は確かなのです。恐れる必要はないのです。西崎君は予想より少し長く生きて30歳前に召されましたが、彼の人生は心臓の筋肉が筋ジスのために脂肪化して動かなくなるまで、神を仰いで全く燃焼して行ったと思います。

  思えば、彼はこの世に生まれて来て一度も仕事をしたり、金儲けをしたりしたことがないのです。でも人生は仕事や金儲けではないのですね。雀もそうですが、人間はそれ以上の意味をもって生まれて来ているのです。イエスは、「あなたがたは、沢山の雀よりもはるかにまさっている」と、愛の眼差しを注いでおられます。

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  神はいと小さい雀一羽もお忘れにならないのです。「誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」

  「殺した後で、地獄に投げ込む」とは、殺した後、その名を永遠に辱めることのできる方と言い直してもいいでしょう。殺すだけでなく、殺した後、魂を滅亡させ、破滅させるまでの権威を持つ方です。

  神によって存在を虚無の谷底へ落とされるなら、いかに地上で立派な墓石を立てても、いかに人から立派な表彰状をもらっても、それらは紙くず、石屑に過ぎません。彼が言う「お札」同然です。しかし、存在の耐えられないような軽さ、低さを持つ一羽の雀をも神はお忘れになることはないのです。

  だから、「恐れるな。」神のみを神として、隣人に対して愛を持って生きよ。イエスは私たち人間を、本当に人間らしい人間として生きるように、お導きになるのです。

        (完)

                                          2013年1月13日




                                          板橋大山教会   上垣 勝


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