豊かな人と貧しい隣人
去年の光風会展で心に留まりました。ありがとうございました。
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神との交わりの回復を (中)
第Ⅰヨハネ1章1-4節
(2)
さて、ヨハネの手紙は次に3節以下で、なぜこの方のことを伝えるのかを語ります。「私たちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちとの交わりを持つようになるためです。私たちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書くのは、私たちの喜びが満ち溢れるようになるためです。」
私たちが永遠の命である方を伝えるのは、あなたたちと私たちとが交わりを持つため、単に親しい交わりを持つだけでなく、真理に根ざした交わりを、この方を中心とした真理に根ざした交わりを持って共に生きるためだというのです。
世にも多くの交わりがあります。しばしばお酒の交わりであったり、お金の交わり、経済の交わりであったり、噂やゴシップを持ち寄るような交わり、情報交換の交わりもあり、自慢仕合いの交わりもあるでしょう。付き合いという交わりもあります。そこには真理の筋は通っていません。ですから、はかないし、移ろい易いし、時には馬鹿臭くも感じられます。
しかし世で生きている限り、世と全く関わりなしに生きえません。だが、それだけだと命が中心がなくなります。コマと同じように、中心がないと力がなくなります。
だが、「私たちの交わりは、御父(おんちち)と御子イエス・キリストとの交わりです。」永遠の命であるお方を中心とした、命の交わりであると語ります。
一歩進めてヨハネの手紙全体から言うなら、私たちの交わりの根源は三位一体の神であると述べるのです。そういう永遠の深みに源を発して、私たちの交わりは命を汲んでいるということです。非常に深いところに端を発している。だから決して涸れることがない交わりになるということです。
2千年のキリスト教の歴史は、そういう深い所に根ざす交わりの歴史だと言ってよいでしょう。
すなわち、苦しみや悩みや試練がある世界において、このお方は永遠の命を持って全ての人を愛し、低く人の姿になり、僕となられました。そして、僕であることを最も輝かしい神による栄光とされました。そして十字架で死に、復活してくださった。このお方との命の交わりが与えられるとき、行き詰ることもある人生において、再び息を吹き返し、希望を授けられ、共に連帯して生きていくことができるからです。
私たちは、天地創造の初めからあったものとの交わりに生きているということです。とんでもない、深い交わりです。この方から命を受けて交わりますから、尽きることのない命となって現れてくるということです。物質的貧しさ、地位の低さ、日々の苦労があっても、この方との交わりがある時、それを超えていくことができる。この方との交わりにあるなら、それを担いでいく力、越える力が授けられるのです。
ですから、このお方を伝え、共にこのお方に与り、このお方を共有するのは、またとない喜びです。この命に与って希望を与えられる人が生まれることは溢れる喜びである。だから、私たちはあなたがたが交わりに入りたいと述べるのです。
(3)
さて、ヨハネの手紙は今日の私たちに何を語ろうとしているのでしょう。
むろん今日でも、それは交わりです。交わりということは、自分に閉じられた閉鎖的生活でなく、隣人に開かれた他者に心を開いた生活です。
アメリカ経済が世界に及ぼす影響は甚大ですから、その財政の崖はどうなるのかと世界が注目していました。オバマさんは世の富裕層にもっともっと負担してもらいたかった。しかし、上院、下院のねじれから充分できなかった。彼の願いは富裕層がもっと貧しい隣人に心を開いて欲しかった。心を開くとは、ここではガマ口をもっと大きく開く生活のことです。
言葉を変えて言うなら愛です。自分に閉じられた生活でなく、他者のことを思いやったものにならなくちゃあならない。満たされた富豪層は貧しい者と連帯し共に生きて欲しいのです。すると人生に意味が出てきます。交わりから説き始めるヨハネの手紙ほど、愛について集中的に語られた手紙はないのは、当然です。
(つづく)
2013年1月6日
板橋大山教会 上垣 勝
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