グッバイと共に


                              年末の教文館
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                                          われらを導く主の言葉 (下)
                                          使徒言行録20章17-38節


                              (3)
  パウロは、エフェソから会いに来た長老たちにこう述べたあと、32節で、「今、神とそのめぐみの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされた全ての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」語り、彼らに「では、さようなら。グッバイ」を語たったのです。

  エフェソ教会の人たちは、ここに、パウロの「グッバイ」と共に、彼が残した「神の言葉」という遺産を受け継ぐことになったのです。エフェソ教会の創立者であるパウロがいなくなった後、彼らの手に残されたのは「神の言葉」だけでした。

  しかし、「今、神とそのめぐみの言葉とに」委ねられたのです。この神の言葉はどんな巌よりも堅固で信頼できるものであり、喜ばしいもの、希望を与えるものです。それはパウロ自身がイエスと出会って以来、何十年にわたって慰められ、希望を与えられてきたものです。

  この言葉は、パウロがいなくなった後も、エフェソの人たちを支えていくでしょう。また人が住む所ではどこでも道を切り拓いて行くでしょう。どんな反対や障害があっても、神の言葉が先立って行くということです。

  こうして、エフェソのリーダーたちは、パウロとの別れの悲しさを抱えながら、神の言葉を新たに委ねられるという喜びを得たのです。それは、星に導かれて幼子イエスの元にやってきた3人の博士たちに似ています。彼らは幼子を見つけると喜びに溢れて、その前に進み出て、宝の箱を開けて捧げ、ヘロデをも恐れず出発したのです。

  私たちは先週、そのクリスマスの喜びを持ちました。祝会も色々楽しいことがあって喜びの時でした。さあ、来年に向けて出発しましょう。御子キリストを与えられました。神の言葉が委ねられています。われらを導くのは主の言葉です。御言葉に導かれ、来年に向かって、また隣人に向かって、心を開いて生きる者となっていきましょう。恐れることも、自分の何かを立証することも要りません。キリストに委ねて、淡々と生きましょう。

       (完)


                                        2012年12月30日



                                        板橋大山教会   上垣 勝


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