バキータさん


                    東京駅が背景のビルとコントラストしてきれいでした。
                               ・



                                           額づく3人の学者 (下)
                                           マタイ2章1-12節


                              (3)
  長く牧師をしていても、2千年に渡る世界のキリスト教全体を見わたせる訳ではありません。素晴らしい信仰の証をした人たちの大半を知らぬまま世を去ることになるに違いありません。ですから、これまで知らなかった方々に出会うと、ああ、よかったと心から思います。

  アフリカにスーダンという黒人の国があります。エジプトの南、ケニアの北にあります。

  スーダン人の女性で、60年ほど前に亡くなったジョセフィン・バキータという方がいたと最近知りました。日本では殆ど紹介されていません。彼女はダユ族という部族出身で、ある村の村長の弟の娘で、3人3人の素晴らしい兄弟姉妹と家族に囲まれ、幸福な幼少期を送っていました。ところが7歳ころ、ここにいるAちゃんの年齢でイスラムの奴隷商人に誘拐されたのです。2年前には姉の一人も誘拐されていました。

  誘拐された彼女は、裸足で960kmの道を歩かされて、目的地に着くまでに2度も売買されました。人間のことも社会のことも殆ど知らない純真な子供が、こんな経験をするなんて胸が痛みます。だが、その後12年間に更に3度も転売されたのです。口では表現しきれない過酷な生活がトラウマになって、自分の本名さえ忘れてしまったのです。バキータという名は奴隷達から付けてもらったアラブの名前です。やがてイスラムに強制的に改宗させられました。

  その後、色々の裕福なアラブ商人の奴隷になります。ある時は花瓶を割って殴る蹴るの暴行を受け、1ヶ月ベッドに寝た切りになりました。

  次の奴隷主はトルコ人将軍で、その妻と妻の母親に仕えました。この2人は奴隷達に、それは残忍非道な女性たちだったようです。何年も家から一歩も外に出されず、ムチで打たれて生傷が絶えなかったのです。

  バキータさんの一番恐ろしかった記憶は、女主人が見張る中で、別の一人の女が小麦粉を練った皿と塩の皿とカミソリを持って、まるで刺青をするかのように、まずバキータの体に女主人が手で小麦粉を縞模様に塗ると、模様に沿ってカミソリで深く傷をつける。無論鮮血がほとばしり出ます。その傷に塩をまぶしていくというゾッとするような残虐非道さです。痛さの下で、永遠の絶対服従を誓わせると言ったものだったそうです。

  最終的に、体じゅうに114箇所、傷跡ができたそうです。この世にこんな残酷があっていいのだろうかと思いますが、彼女はこうして、奴隷たちが受ける苦しみの象徴的存在になったのです。

  やがて革命が起こり、トルコ人将軍は母国に帰ることになり、次はイタリア人副司令官に買い取られます。初めての西洋人です。彼女はこの人の家庭で初めて平和と平穏な日々を取り戻したのです。13歳の時です。

  だが、このイタリア人も2年後に母国に帰ることになりますが、彼女はぜひ自分を連れて行って欲しいと何度も何度も頼みます。何とかお願い致しますと15歳の少女は強く願ったのです。それで、副司令官は彼女も連れ、ラクダの背に乗せ650kmの砂漠を渡り、スーダンの港に着き、イタリアに帰ります。そしてイタリアの港で知人の夫人に彼女を託すのです。

  この若い夫人一家はベニス近くの人で、バキータはその家の赤ちゃんの子守になります。所が彼らもやがて、イタリアの家を売り払って、スーダンに永住してホテルを開くことになりました。バキータはまた悪夢のスーダンに戻らねばなりません。だが、イタリアに住んで約5年、20歳になっていた彼女は洗礼の準備会に出ていたのです。

  スーダン人ですが大人の黒人女性になっていました。彼女は、生まれて初めてこの女主人に抵抗して、イタリアに留まりたいと言い張ったのです。だが女主人はどうしても連れて行こうとします。

  イタリアは無論カトリックです。バキータの信仰を指導した修道院長は、バキータを支持して役所に訴えたのです。運良く、丁度その年にイタリアは奴隷制を廃止して、いかなる奴隷も認めないことになっていたのです。こうして、彼女は生まれて初めて、自分の道を自分が決定することができたのです。

  彼女は翌年洗礼を受け、やがてシスターにさえなります。そしてアフリカで働こうとする若いシスターたちに自分の経験を語って、励ましました。彼女はキリスト教徒として、「神に対し、いつも変わらぬ心を抱き、またアフリカの心を抱いて仕えた」と言います。あれほど虐げられ、苦しみを嘗めたのに、いつも穏やかで、静かな声で語り、いつも温かく微笑む人だったようです。それが人々の心に残ったようです。

  ある時、「もしあなたの誘拐犯たちに出会ったら、どうしますか?」と聞かれました。するとすぐ、「もし誘拐犯や私を虐待した人たちに出会ったら、その人たちの前に跪いてその手にキスするでしょう」と答えたそうです。そして、「もしあんなことが起こらなければ、私はクリスチャンになっていませんし、信仰を持っていなかったでしょう」と付け加えたそうです。

  にも拘らず最晩年は奴隷時代の後遺症で病と痛みが全身を襲いました。死の床では奴隷時代の悪夢に襲われたのです。「鎖がきつい、きつ過ぎる。どうか緩めて下さい!」と叫んだそうです。

  プロテスタントではありませんが、同じ信仰者です。こういう苦難の経験と信仰を持つ方を、私たちの兄弟姉妹として、2千年の歴史の中で一人でも持っていることを誇りに思います。

  「もしあんなことが起こらなければ、私はクリスチャンになっていませんし、信仰を持っていなかったでしょう。」これは、全てでなくても、多くのクリスチャンに当てはまるでしょう。

  私たちには色んな「あんなこと」があります。良かったこともあります。惨めだったことも、腹立たしかったことも、迷ったことも、自分の罪もあります。だが神は、神を信じる者たちの苦難をも転じて幸いをお与えくださるのです。悪も罪も逆手にとり、それらを私たちのためにお用いくださるのです。まことの神はそういう深い憐れみをお持ち下さり、慈しみ深く、私たちをご覧になり心を配って下さるのです。

  これは、東方から来た学者たちに、ヘロデや祭司長などを通してクリスマスに起こったことではないでしょうか。約100年前、ドイツのブルームハルト牧師は、「人間の歴史はいつも神なしであるかのように見える。しかし、神の意志と支配は、一切を貫いて進み、最後には神の欲したまうことが起こる」と述べています。

  神はおられるのかと思う場面がしばしば起こります。先日ボランティアに参りましたが、昨年の大地震で約2万人の犠牲者を生み、今も不便な仮設住宅に住む人は多く、福島原発の爆発によって今後何十年にもわたって被害が続くでしょう。にも拘らず新政権はもう原発継続の道を探しています。「人間の歴史はいつも神なしであるかのように見える。」地上の出来事は、この言葉を追認するかのようです。

  だが、「しかし、神の意志と支配は、一切を貫いて進み、最後には神の欲したまうことが起こる」と毅然として述べるのです。私も同感です。ですから、悲観せず、神が日常生活で私たちに託された人と事柄を、心を込め、愛を込め、知識をもって、人間らしいやり方で接し、積み上げていくことが大事です。

  私たちはゴミゴミした私たちの人生と生活を送っていますが、私たちを導く明けの明星、人類を導かれる真の神、天の神、御子に至る道を歩みたいと思います。できれば宝物を携えて。

         (完)


                                        2012年12月23日


                                        板橋大山教会   上垣 勝


       ・ホームページはこちらです;http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/ 

       ・板橋大山教会への道順は、下のホームページをごらん下さい。
                   http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/