恐れで見ない日中関係


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                                           額づく3人の学者 (上)
                                           マタイ2章1-12節


                              (序)
  町を歩くとあちこちクリスマス・ツリーが飾られ、最近、玄関ドアのリースも松飾りのように普及して来て、場所によってはキリスト教国のようです。しかし、イエスの誕生を喜ぶ本物のクリスマスは殆どないのは淋しいことです。みな、商業ベースとか単なる装飾で実に残念な現象です。御子の誕生をおめでとうと語る心が見当たりません。意味が分かられていませんから、「わあっ、キレイ!」はありますが、本来クリスマスが持っている命がありません。ですが、私たちは本物のクリスマスを守りたいと思います。それを祈りつつ、お話しをいたします。

                              (1)
  さて、クリスマスのみ子の誕生は喜びの知らせでした。羊飼いたちは喜びに溢れ、神を崇(あが)めたのです。また天の万軍は、「天に栄光、地に平和」と喜び歌ったと記されています。ギリシャ語は「カラ」という言葉ですが、歓喜です。内側からあふれる力強い喜びです。それが御子の誕生の喜びに相応しいのです。

  ところが、先ほど耳にした聖書は、ヘロデ大王は喜びでなく真っ先に不安を抱いた。エルサレムの住民も皆、同様であったというのです。元の言葉は、「動揺する、騒ぎ出す」という言葉です。王座に君臨する者が不安を覚えて動揺し、住民も同じだった。天の万軍が歓喜に満ちて歌ったに拘らず、エルサレムでは王も住民も恐れ、相当に動揺したのです。

  これは滑稽な場面です。ヘロデ大王の権力は甚大でした。元は地方の一武将の息子でしたが、ローマの元老院に巧妙に取り入り、元老院を後ろ盾に地位を築き、紀元前37年にユダヤの王になり、紀元前4年までの約33年間安定したヘロデ王朝を築きました。

  安定と申しましたが、その安定は前政権の血を引く者たちの徹底した粛清で始まりました。その後も妻の弟を暗殺し、5年後に最も愛していた妻マリアンメを処刑する。すべて猜疑心からです。翌年、妻の母親を処刑し、やがて妻との間に生まれた2人の王子も処刑しました。疑わしい祭司も迷わず次々処刑しました。カミソリのような繊細な心を持ち、疑い深く、用心深く、このような恐怖政治によってようやく安定が保たれたのです。

  ですから、東方の学者たちの、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」という声を耳にして、心穏やかならず、すかさず行動しました。またヘロデの性格を熟知していた住民は不安におののき、次は誰が血祭りに挙げられるかと心配したのです。

  ところが、東方から来た占星術の学者たちは至って無邪気かつ素朴でした。「私たちは東方で、その方の星を見たので拝みに来たのです」と率直に尋ねたのです。ここにもどこか喜びの声が響いています。

  彼らは、今ではいささか子どもっぽく思われますが、物言わぬ仄かな星の光に導かれて旅に出た人たちでした。今のイラクのチグリス、ユーフラテス川の中流下流域辺りから何千キロを旅して来たのです。そこはイスラエル人の源流、アブラハムの故郷です。ですから、旧約聖書の源流であるアブラハム、その源流の子孫たちが遥々新約のイエス・キリストを拝みに来たということに、深い意味を見て取ったのでしょう。

  それはともかく、この学者たちは仄かな星の光を見つけ、それに導かれて旅しました。何と大胆でしょう。星など頼りになるのか。現代人からすれば、余りにも無謀で、幼稚で、無邪気です。

  ただ冒険家や探検家は時として無謀です。先日、イギリスBBC放送が制作した北極探検をした人のことが放映されていました。また地球の形を正確に測るためにヨーロッパからペルーに行った3人の探検家、というより数学者や物理学者などの無謀と言える冒険に息を飲みました。

  東方から大胆に旅して来た人たちは「占星術の学者たち」でしたが、昔も今も、学者たちの中には冒険野郎が多くいたと言ってよいでしょう。

  東方の学者たちはしかも、「黄金、乳香、没薬」の宝の箱を持っていました。宝に気づかれれば盗賊に襲われるでしょうに、大事に携え来ったのです。

  ヘロデ王は民の祭司長たちや律法学者たちを直ちに召集しました。そしてユダヤベツレヘムに生まれると予言されていると聞くと、学者らを「密かに呼び寄せ」ました。用心深いヘロデの人となりがここにもあります。

  星が現れた時期を確かめると、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と告げ、ベツレヘムに送り出したといいます。心の中では、必ず幼子をひねり潰すと決めている癖に、口では「私も行って拝もう」と屈託なく言ったのです。まったく出まかせです。真っ赤な嘘が吐ける実に悪辣な人間です。ここにも彼一流の狡猾さがあります。

  しかし人間というのは、地位をどこまでも墨守しようとすると実に愚かになります。普通では考えられぬことまでしてしまう。人を恐るからでしょう。日中関係でも恐れで見ちゃうと誤ります。恐れで見ない日中関係を作らなければならない。でなければ国民を大変なところに導いて行きかねません。

  学者たちがベツレヘムに出かけると、「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」のです。

  前の口語訳は、彼らは「非常な喜びにあふれた」と訳していました。元のギリシャ語は、「非常に、甚だしく、喜びをもって喜んだ」となっていますから、その方が正しい訳だと私は思います。「非常な喜びにあふれた。」その喜びよう、子どものように喜ぶ彼らの興奮が手に取るように分かります。

  そして家に入り、母マリアと一緒におられる幼子を見ると、ひれ伏して拝み、「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」のです。高価な値打ちあるものです。彼らは、救い主に自分を献げる徴としてそれらを献げたのです。

  その後、ヘロデの所へ帰るなと夢でみ告げを聞くと、王との約束を破って「別の道を通って」帰って行きました。彼らはヘロデ王の残虐さ、執拗さ、迅速さなど気にせず、自由に別の道を帰っていきました。恐れなかったのです。

  ここにも彼らの勇気があります。幼子イエスを礼拝して念願の宝物を献げた彼らは、信仰による自由さを授けられて、ますます勇気と大胆さをもって行動したのです。

            (つづく)


                                        2012年12月23日


                                        板橋大山教会   上垣 勝


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