キリスト教は本来爽やか


                   今日の写真は、ウイーンのザッハーでお口直しのためです。
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                                            内から清める (下)
                                            ルカ11章37-44節


                              (3)
  今日の箇所の中心のメッセージを再確認して終わります。それは41節で、「ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる」とイエスが言われたことです。

  外側を見せる生活でなく、内なるものを人に与える生活であれということです。あなたの中身を惜しまず与えよ。弱さも愚かさも惜しまず示していい。そして特に、あなたの光を、あなたが神によって授けられた命の光を人々に与え、照らしなさい。また内側を清め、正直であれ。内と外を同じにせよということです。

  「そうすれば、一切があなたたちにとって、清いものとなる。」内側の強欲も悪意も貪欲も邪まも取り去られて、清々しく、爽やかになるということです。

  キリスト教は本来爽やかなものです。神の聖霊の風はどこから来たって何処へ行くか、誰も知りません。人間の小賢しい知恵を越えて聖霊は働きます。時には、人の強欲や悪意を逆手にとって神様は歴史を動かしていかれます。心配いりません。

  イエスは恐れられませんでした。求めに応じて堂々と行かれたのです。私たちにキリストが共におられます。安心して生きましょう。「あなたがたはこの世で悩みがある。しかし私は既に世に勝っている」と言っておられるのです。

  私たちは2つの時の間で生きています。既にキリストは来られ、やがてまた来られるのです。この既にと未だの間です。やがて来られるのですが、未だです。既にと未だ、この中間の時を旅しているのが私たちです。

  ある人がこう書いています。「私たちキリスト者は、2つの時の間を旅しています。十字架と復活において、私たちの救いのために起こるべきことは既に起こりました。戦いは既に勝利し、主は既に勝利者として、世界の主として座しておられます。

  世の支配者も、世の人たちも、その事実を未だ知りません。地上は未だ神の国ではありません。しかし私たちは、既にキリストは勝利者であることを信仰によって知り、未だ神の国は目にしていませんが、やがて神の国が来るのを知っています。

  今は厚いカーテンがかかって、部屋の中は暗く、既に新しい朝は来たのを知りながら、闇の中で目を覚まして、朝の光が部屋の中に奔流のように流れ込んでくるのを待っているのがキリスト者です。」(井上良雄)

  器の中にあるものを人に施していいのです。気前良くあっていい。器が空になればなる程、キリストはまた満たしてくださるでしょう。もっともっと清いもので満たしてくださるでしょう。「一切があなたたちにとって、清いものとなる」と、イエス様は約束してくださるのです。

      (完)

                                   2012年12月2日



                                   板橋大山教会   上垣 勝


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