ともし火は燭台の上に置く


                         仙台・若林区荒浜地区の松林
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                                        全身が輝く人 (下)
                                        ルカ11章33-36節


                              (4)
  女川漁港の中心地は全滅していました。だが、再建の槌音は僅かながらあり、希望の兆しを感じました。20m程の津波がこのリアス式海岸の街を直撃しました。自然の力の凄さ、その傷跡を目にしました。津波というより、戦災で焼け野原になって何もかもなくなったのでないかと思うほど、何もかもなくなっていました。

  ただ20mより上の高台にある家々だけが取り残されたように淋しく残っていて、奇妙な景色でした。

  そこで受けた率直な感想は、これほど壊滅的な打撃を受けた地で復興支援をするには、命に光を授けられ、命の光を内に宿し、神からの強い使命を持って被災者の中に入っていくのでなければ到底復興支援はできないだろうという思いでした。スローワークはいいのですが、この強力な使命意識は欠かせないでしょう。

  エマオのスタッフとはいえクリスチャンは少ないようで、ぜひ信仰をもって命の力を与えられ、この使命に丸ごと献身して体当たりして下さる人が生まれることを願わずにおれませんでした。

  こうも思いました。私たちは被災地から離れた場所で生きています。だが私たちが生きている場所からも支援ができると思いました。それは、私たち自身が、時代の風潮に流されず、今生きている所で、キリストの命に与って命を輝かせて生きる事によってです。先ほどお話した玉木さんは、熊本の癩院の狭く暗い部屋から、たった17文字の俳句で全国の人々を励ますことができたのです。時代さえ超え、今も人々を励ましておられます。

  ともし火は燭台の上に置き入ってくる人を明るく照らすのです。どうしてともし火を灯して、穴蔵の中や升の下に置く人があるでしょう。キリストの光を頂いて、それをしまっておいていいでしょうか。自分のためだけに用いていいでしょうか。ともし火は、自分のために輝かすのではありません。自分のために輝くのはエゴイズムです。ともし火は、入って来る人に光が見えるように、自分を燃焼させ、自分をすり減らして輝くのです。そこにともし火の使命と美しさがあります。

  世は命の光を必要としています。

      (完)

                                    2012年11月25日


                                    板橋大山教会   上垣 勝


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