目をささげ手足をささげクリスマス


                       エマオのスタッフと食事ボランティア
                               ・


                                        全身が輝く人 (中)
                                        ルカ11章33-36節


                              (2)
  さて今日の聖書は、35、6節に、「あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らす時のように、全身は輝いている」とありますが、あなたの中に命の光があるように、あなたの中で光が消えていないようにということが、今日の中心のメッセージだと思います。

  34節の、「あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い」という言葉が、真ん中に挿入されていますが、目は心の窓と申しますが、この34節を飛ばして、33節と35節をくっつけて、「ともし火を灯して、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入ってくる人に光が見えるように、燭台の上に置く。…あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らす時のように、全身は輝いている」というふうに、つなげて読むと、幾分意味がはっきりします。

  さて、「あなたの中にある光が消えていないか調べなさい」とイエスは言われます。あなたの中の命の光が消えていないか、命に光があるかと言い換えてもいいでしょう。

  命に光がないと、人生を上っ面でしか生きれないでしょう。物事の本質深くまで分け入って、照らせません。だが命の光を持って生きれば、全身は輝き、周りにも光を照らすことができるでしょう。

  内面の灯し火が消えていれば、人生は暗く、空しく、寂しいのです。いかに外面を飾り立てても空虚です。心にすきま風が吹き込んできます。しかし、内なる光が力を持っていれば、外面は辛く、苦しく、困難であろうと、全身に輝きが出てきます。存在そのものに光が出てくるでしょう。

  青森にいた頃、「燠火(おきび)」とか「燠(おき)」という言葉をしばしば聞きました。それ以来、燠というものに魅力を感じます。燠は囲炉裏の灰をかぶせられ、灰の下で真っ赤におこっている火種です。

  社会で生きていると、人間関係がうまくいかなかったり、家族に悩みが起こったり、失業したり、失恋したり、身近な者の死を経験したり、地震津波だったり、色んなことが起こります。軽いものだったら耐ええもしますが、酷い場合はどうして暗くならずにおれるでしょう。明るい顔を持ちなさいと言われても、不可能なこともあります。いや、酷い目に遭うと今は明るい人もペシャンコにならないって言えはしません。暗さと苦悩が暗雲のように心に垂れこめます。

  だがそのような時にも、「光は闇の中で輝いている。そして闇はこれに勝たなかった」と言われているのです。キリストは闇の中で輝いているのです。どんな深い闇も、強い闇も、激しい闇も、長い闇もキリストの光に勝つことはできないのです。終末的に必ず勝利を見させてくださる。

  この闇に打ち勝つ光、キリストを信じること。目に見えないが、「光は闇の中で輝いている」とあることを信じる。この目に見えない事実を確認し、信じる。イエスの十字架は事実です。それを確認する。それが信仰です。この光に信頼して歩むのです。この光は、灰の奥で真っ赤に起こっている燠火のように、表面からは見えませんが、灰に埋もれてあるのです。信仰はその存在への信頼を持ち続けることです。

  私が日々、キリストの前に出て祈るのは、教会に集まる方々全てに、命の光を灯して下さい。主の聖霊がおいで下さり、教会員も客員も求道者の方々にも、内なる命の火を消さないでください、命の火を送ってくださいと祈ることです。たとえ闇のような力に生活が一旦覆われても、内なる燠火を消さず、却って信仰の火を内側で真っ赤に燃やす機会としてくださいと祈ることです。

  そしてやがて時を経て、深い灰で覆われていた熾火が顔を出して、全身が輝くものになりますようにという祈りです。

  人が成長するには苦しみと闇の時を通過しなければなりません。そこでペシャンコにされて倒れてはならない。そこを通過していく。すると試練の中でこそ鍛えられます。ですから、試練や闇の時を通り抜けることができ、持ちこたえうる命の力と命の光を神様から授けられねばならないのです。

  命に光がある時には、人はどんな環境にあってもいつまでも成長します。90歳、100歳になっても成長し続けるのです。ぬるま湯に漬かって、アッハッハ笑って、思う存分食べたり飲んだり、それでは成長しません。しかし、苦しみや屈辱、苦悩の中でこそ、人は成長させられ、神の光は輝くのです。

                              (3)
  「目をささげ手足をささげ降誕祭(クリスマス)」。ご存知の方もいらっしゃるでしょう。これは玉木愛子さんの俳句です。

  玉木さんは34歳の時、熊本の病院でキリスト者になりました。元は大阪の島之内の何百年か続く材木問屋の長女・いとさんで、明治20年に生まれ、昭和40年半ば、1969年まで生きた方です。年代は違いますが、与謝野晶子と同じ高等女学校で学んでいます。

  知性豊かな女性で、京大の学生に見初められて求婚されたこともありました。だが既にハンセン病・ライ病の宣告を受けていて、家族を守るために、当時は差別がひどく家族を守るために彼女は別の病気を語って断ったそうです。

  やがて周囲に隠せず、母が二つの菅笠を用意して、二人で淡路島巡礼に出ようと持ちかけました。母はわが子可愛さから、船べりから一緒に瀬戸内海に入水しようという計画だったそうです。

  玉木さんは母の愛に深く心打たれながら、その時、熊本の回春病院のことを思い出したのです。日本最初のライ病院で、愛子さんは自ら手紙を出して入所を願い出ました。しかし、熊本の郵便局が返信のことを配慮して、返信が回春病院からだと局員や配達夫に知れるので、大阪に出向いていたハンナ・リデルさんに転送してくれて入所が決まりました。ご存知のようにリデル宣教師は、日本最初のハンセン病院・らい院を熊本に作った方です。イギリス貴族の出で、終生救癩事業に献身されました。

  入所が決まった頃は、すでに足でペダルを踏むのも難しくなっていましたが、母の愛情は深く、娘にオルガンに向かわせてくれ、可能な時間を娘と過ごしたのです。

  生まれてこれまで家族の慈愛のなかで過ごしてきたが、やがて家族との別れの時を迎えました。その前夜は親戚中が送れのために集まって、歌を歌い、詩を読み、愛子さんとの別れを惜しんで、早朝2時まで語り明かしたそうです。

  母と弟に助けられ、マスクやショールで体を包み、病気を悟られない姿に身を整えて、大阪の梅田駅から熊本に向けて、心休まらない列車の長旅に出ました。片道切符の二度と戻れない旅路です。下関で連絡船に乗り換えましたが、混雑する船で人と会うのを避けて、船底の荷物の中に立ち尽くして潮の音を聴いて渡りました。トイレに立つ必要のないように食事も控えたそうです。

  熊本・回春病院は、三宅俊輔院長と三井たみ看護婦の献身的な連携プレーで運営されていました。荒涼とした人生の砂漠に生きる人たちと、決して希望を失わずに一緒に生きる姿がそこにあったのです。

  特に三宅院長は、医者であると同時に熱い祈りの人でした。全身全霊を傾けて祈り、毎日2時間を祈りの時に費やしたのです。

  やがて玉木さんはライ菌が目に入って失明し、手も足も失います。そうした中で作ったのが、この「目をささげ手足をささげ降誕祭(クリスマス)」という句です。(自伝「この命ある限り」)。

  視力も手足も何もかも失ったのです。食べるのも、飲むのも、読むのも、移動するのも、何もかも人手を借りなければなりません。いつも、狹く陽の差さない部屋に、ゴロンとぶっきらぼうに丸太棒のように転がされていたそうです。

  何もかも失い。クリスマスが来ても、何も捧げるものがない。そんな中で、「目をささげ手足をささげ降誕祭」と詠んだのです。大阪の老舗の大きな材木問屋の娘の、何と壮絶な人生でしょう。しかし主の前で降誕祭を心から喜んでおられるのが伝わります。

  こんな句も作っておられます。「毛虫這えり、蝶となる日を夢見つつ」。あまり何度も人を呼べない。それで、毛虫のように胴体だけで這って部屋の中を移動するのです。「毛虫這えり、蝶となる日を夢見つつ」。涙があり、ユーモアがあり、蝶となる日を待つ人生のペーソスが漂います。復活の日に自由に羽ばたいて飛び立つ蝶です。

  彼女は砂漠の中で生きました。だが、荒涼とした人生の砂漠の中で、命に光をキリストから与えられて生きていきました。そして、与えられた命の光を力いっぱい周りに輝かせて生きたのです。周りにとは回春病院の人たちを指しますが、それを越えて全国のハンセン病の人たちを指し、人生の荒涼とした砂漠の中をトボトボ歩く人たち全てです。実際、玉木さんは目を失い手足を失った体全身で、真っ暗な闇にありながら光を輝かせました。

      (つづく)

                                    2012年11月25日


                                    板橋大山教会   上垣 勝


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