死の直前でも出直せる


                さびしく歩いているのは実に面白い路上芸人。抜群の人気者です。 
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                                           ヨナのしるし (中)
                                            ルカ11章29-32節


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  春以来、A君のことが絶えず頭にあります。眼は爽やかだし顔も明るく、一見してそれほど知能が遅れていると思えません。それに素直です。4歳になろうとして一言も明瞭に喋れないのに、姉にない良いものも沢山持っています。

  悩みがどれだけ深いかなどと、あえて両親に聞きませんが推して知るべしです。

  保育園はこれまで通り通っていますが、Bさんも付き添ってくれて、時々朝早くから、前にお話した小茂根の心身障害児の療育センターに連れて行って、言語の療育と感覚統合の療育をしています。療育ですから治療ではないので、直ぐに変化があるというわけには行きません。歩くと子どもの足で1時間以上かかって往復2時間半ですのでバスを利用しますが、バス停まで歩き、バスを降りてからまた歩きます。雨の日はなかなか大変ですがA君の成長を思えば軽いものです。何でもありません。

  また、加賀の先にある東京家政大学の障害児グループにも連れて行きます。ここは往復歩きです。おかげで善い運動になって喜んでいます。

  またほぼ毎朝7時25分に家を出て、徒歩で迎えに行きます。足や身体を鍛えることで知的にも影響があるからで、体力が付くと積極性も出ます。すると友達関係にも影響します。年齢の進みもありますが、まだ数ヶ月なのに最近様子が違って活発になって来ています。

  この子を身近に持つことになって、「全て重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」と言われるイエスの言葉が本当に身に染みます。イエスは重荷を負う者たちの苦労をよくよくご存知だと知りましたし、イエスが一層身近になった気がします。もし、「全て重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい」と言って下さる方がおられないなら、この重荷は相当つらいでしょう。何倍、何十倍になっていたに違いありません。

  教会の方々は、誰もが幸いに暖かく見守ってくださって本当に感謝です。でも、この重荷を誰も知ってくれる者がなくても、イエスが「私のもとに来なさい」と言って下さるので真に慰めになり、力になります。イエスが引き受けて下さるというか、イエスが生きてここに一緒におられるので力づけられるのです。

  知的障害児の出生原因はまだ分かっていません。どこの家庭にも生まれる可能性があります。あなたの家庭にもです。必ず人類の0.何%かは知的障害児として生まれます。特別なことではないのです。

  だが正直言って辛いことです。悲しいです。将来を考えれば可愛そうです。

  しかし、Aがこの家庭に生まれたのは、神様が、君たちの家庭にこの子を預けると言って、選ばれたのでないかと思います。だから必ず深い意味があると思うし、負う力も与えて下さると確信しています。また、神は知的障害児を世に送ることによって、人類に何かを教えんとしておられると思っています。

  暫く前の新聞の声欄で、63歳の方の「ダウン症児が安心できる社会」という文章が目に留まりました。仙台の方です。少し長いですがご紹介します。

  「妊婦の血液検査でダウン症出生前診断が99%可能になるという記事を8月に読んだ時、私は思わず天を仰いだ。この新しい方法により、ダウン症児がこの世から抹殺されるのかと考えたからだ。」抹殺という強い言葉を使って、この方はダウン症児が世に生まれなくされることに反対しておられる。どうしてだろうと思い、先を読むとこうありました。

  「私は小児科医として30数年、ダウン症児とその家族との付き合いを続けてきて、私の診療所には現在約150人のダウン症児が通院している。皆さんに共通しているのは、家族や兄弟姉妹の誰もが優しいということだ。ダウン症児の持つ天性の明るさと優しさが、周囲の人を優しい気持ちにしてくれる。」

  「ダウン症児が染色体異常で知恵と行動が遅れる人間の集団だと単純に決め付けるのは、ダウン症をよく知らない人たちの偏見だ。私は、ダウン症児は『我々の持っているドロドロした金銭欲、名誉欲、地位欲などの欲望を一つ一つ削ぎ落としていってたどり着いた人間の純粋な姿』だと思っている。生き方や感性など、彼らから学ぶことは多い。」

  「今、医学に必要なのは、ダウン症を排除することではなく、ダウン症児のように種々の特徴を持った子どもやその家族が安心して生きていけるための態勢整備だ。どこかに悲劇を伴うのであれば、それは医学の進歩とは言わない。」

  この方の発言に力づけられました。知的障害児はダウン症児とは違いますが、今はまだ知られませんが、神は、人類に必要だから知的障害児やダウン症児を送っておられるのだと思います。そこに人知を超えた神の摂理や神意があるのだと思います。

  経済性や、こういう子どもを持って苦労を負うのは大変だという理由だけで、人間を選別したり、間引いていると、人類はしっぺ返しを喰らうでしょう。彼らと家族が安心して生きれる社会態勢を作ることが、この小児科医がお書きのように社会に求められていることだと思いました。

  自然が語る言葉に予断なく耳を傾けるのが科学者だし、科学をするということでしょう。この仙台の小児科医は、自然がかすかな声で語るのを聞き取る、良い耳を持っていらっしゃると思います。それは、神の声を先入観なく聞き取る耳に通じると思いました。

  随分と逸れましたが、民衆たちは素直に先入観抜きにイエスを見ました。そしてイエスのもとにますます集まって来たのです。しかし、律法学者やファリサイ人やサドカイ人など世の指導者らは、聞いても聞かず、見ても見ず、偏見と先入観でイエスに接し、ただ何とか陥れようとしてする。それに対して、「今の時代の者たちはよこしまだ」、邪悪だと鋭くおっしゃったのです。

  むろん群衆の中にも奇跡やしるしを求める人はいたでしょう。彼らは律法学者たちと違った意味でそれを求めました。それは一言で言えばご利益(りやく)です。イエスはこれまで色んなしるしや奇跡を行われましたから、ご利益を求めて集まって来る場合もありました。イエスを求めているのでなく、パンを求め、癒しだけを求め、この世のものだけを求めている。

  病気が治されたら信じよう。祈りを聞かれたら信じよう、聞かれなければ信じないといった、信仰を実利的な有効性で見ています。自分の求めと都合に、神が合わせてくれるかどうかという、自己本位のあり方です。

  そこにも「よこしま」があるのではないでしょうか。まるで自分を神以上の者のように考え、自分が主人で神を召し使いのように考える生き方です。果たしてそれは、一瞬の命しか持たない人間の、造り主に対する正しい態度なのでしょうか。そのどこかに傲慢がないでしょうか。

  また逸れますが、私たちはできるだけ堅実な生き方をしたいものです。仕事においても、特に私生活においてそうです。人間は風船と同じで、膨らみますと浮かれて軽くなります。軽佻浮薄(けいちょうふはく)とはそういう生き方です。

  何度かお訪ねしたことのある知人が、450億円というべらぼうな負債を抱えて会社更生法の適用を受け、先週倒産しました。別の説では600億とも言います。しかも、自分からの申し出なく取引銀行から告発されての倒産です。オリンパス同様、約10年間経理をごまかしていたのです。巨大な粉飾会計。一瞬にしての没落です。残念でたまりません。

  これからどう生きていけばいいのか。何年間も、実にしんどかったでしょう。魔が差したのか。迷いがあり、恐怖の内に生きていたでしょう。誠に残念です。ご夫婦は80歳前後、息子は50歳近くですから、人生の総決算の時期に実に気の毒です。そこに今日の聖書が指摘する「よこしま」がなかったか。甘えがなかったか。今からでも遅くない、ぜひ軌道修正して再出発して行っていただきたいと、知人ゆえに切に祈る日々です。

  イエスと一緒に十字架につけられた強盗の一人は、死の直前になって潔く悔い改めたのです。あれは凄いと思います。人生を一から出直したのです。死の直前に、ですよ。そしてイエスの憐れみを受けて御国に入れられたのです。それは恥ではありません、死の直前でも人は出直せるのです。躊躇している場合じゃあありません。窮しつつも、孫たちのために手本になって出直していただきたいからです。


       (つづく)

                                        
2012年11月4日


                                        板橋大山教会   上垣 勝


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