サバティカル


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                                             「サバティカル
                                             詩篇23篇1-3節


                              (1)
  今日の牧師会はサバティカルがテーマで、この後、Y先生からお話いただきますが、その前に短い礼拝のお話です。

  この後どんなお話をして下さるか楽しみですが、私はサバティカルが主題だというので考えていたところ、この詩篇に導かれました。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」

  ここに私たち羊を責任もって守り、養って下さる「羊飼い」がおられます。この方は青草の原に「休ませ」て下さり、「魂を生き返らせてくださる。」サバティカルの本質はここにある気がしたからです。

  サバティカルというのは精神的・霊的なスピリチュアル・ケアの一つです。牧師の魂のケアは相互牧会や今晩のような牧師同士の支え合いを含む、もっと広い視野で捉えるべきでしょうが、今日は、サバティカルが主で、長期の精神的リフレッシュがテーマになっていると思います。

  ただこれは短期のリフレッシュ、スピリチュアル・ケアを抜きにしたものではありません。短期のケアと長期のケアは対になっています。栄養は一度に食いだめしても効果は少ない。むしろ体に負担になる場合もあります。日常的に適量に摂取することが基本なのと似ています。

  私たちは聖書の民と言ってよいでしょう。聖書に固着し、ヤコブが主の使いと組み打ちして祝福が与えられるまで放さなかったように、聖書と四つに組んで祝福をいただこうとする者です。聖書によるスピリチュアル・ケアです。

  それと共に、聖書に導かれて、現実生活によってもスピルチュアル・ケアを与えられますし、人や自然、地上のもの全てがスピリチュアル・ケアの素材になると思います。

                              (2)
  ところで私自身のスピルチュアル・ケアはどうなっているのかということですが、昔は神学書を読んだり、いろんな信仰書を読むことがそれだったと思います。ですから長時間机に向かうのが自分の仕事でした。比率で言えば、神学書を読む時間が一番長く、聖書を読む時間は大変短かった。牧師をしながら、正直言えば読まない日々もありました。今から思えば恥ずかしいことです。

  しかし今は、イコンを前にテゼの歌を用いながら祈りの時を持つわけです。その中で旧約、新約から日々養われると共に、信徒の人たちの名を挙げて祈ります。私たちの教会はお陰さまで小さいですから、信徒や求道者、客員の方すべての名前を挙げ、祈りの課題を挙げて祈ることができます。この祈りの時が、一日で一番力を与えられる珠玉の時間です。お話を短くしたいのでこれ以上説明しませんが、委ねられた群れのために日々祈ることも自分自身のスピルチュアル・ケアになるのです。

  またその時、数冊の書物を並行して読みます。これからも力を与えられます。それが2時間であったり、もっと長くなったりします。

  それから、私のもう一つの日々の力の源泉は、1、2時間のウオーキングです。かなり早足で石神井川を降って王子まで往復約10キロです。およそ2時間かかります。でも、2時間はもったいなく思うものですから、その時、次週の説教箇所を書いた紙を持っていて、ウオーキングしながら黙想して、それを書き留めます。時々御言葉を読んで、それを歩きながら反芻しながら神が語られることを聴くのです。この時間も、私にとっては欠かせない珠玉の時です。石神井川は意外と清涼が流れていますが、川にかかる緑の林に心を癒され、夏なら頭上から降るようなセミの鳴き声を浴びながら、2時間ほどの黙想をしています。即ちこの2時間は神から休息を受ける時間です。

  サバティカルの本質は時間的な休暇そのものではない。神という方によって魂をケアされ、魂に休みを授けられること。この詩篇にあるように、「青草の原に休ませ」られ、「憩いのみぎわ」に伴われること。「魂を生き返らせて」いただくことだと私は思っています。

  サバティカルと言っても、単なる休みではなく、神の命に触れなければ、サバティカルの極上の味を味わうことはないだろうと思います。

  私は実際に1年間のサバティカルを自分に与えて、夫婦でイギリスで暮らしましたが、それは大変いい経験でした。ある教会の礼拝や2、3の家庭集会、その他、イギリスはパブリック・パスが多いのですが、毎月10数人でウオーキングに出かけて、その後誰か信徒の方のお家でお茶のひとときをする何とも楽しい本当にいい機会をいただきました。その他、実に色んなものを経験し身についたと思います。もしもっと若い時にそれができればどんなに有効だったかと思います。

  留学や資格を取るためではありません。もっと多様なサバティカルの取り方がありますし、のんびりしたスピリチュアルなケアも牧師に必要だと思います。そういう機会が他の多くの方々に与えられれば牧師の活動が今以上に活き活きしてたものになるだろうと思います。

                                        2012年10月22日(月)



                                        板橋大山教会   上垣 勝


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