WHOの精神を先取り


(前回の写真に続く) 「愛の終わり」のお芝居の会場前はとてもにぎやか。通りに、一人芝居のPRをする人もいました。
                               ・



                                          身体も心も霊も健やか (下)
                                          Ⅰテサロニケ5章23-24節

 
                              (3)
  ここに、「霊も魂も体も何一つ欠けた所のない者として下さるように」とあります。

  パウロは霊も魂も体もと、人間をトータルに全体的に捉えています。人間は決して肉体だけでなく、魂だけでもなく、心だけでもないと彼は考えていたのでしょう。彼の現実認識の確かさを示すものです。

  日本キリスト者医科連盟という団体があります。戦前から続いて、医療に携わる信仰者たちの伝道や研究や証しや交わりの機関で、国際キリスト者医師歯科医師会議とも関係を持って活動しています。何年か前に、キリスト者医科連盟はWHOが新しく打ち出した健康の新しい定義を取り上げて集会をしていました。

  新しい定義は、肉体的健康、精神的健康、社会的健康という従来の健康の考えに、霊的健康を付け加えました。原文の私の理解では、肉体的健康、心の健康、社会的健康、そして霊的健康が全体的にトータルに捉えるようにと考えられています。

  ただ残念なことは、日本はなぜかこれを批准していなかったと思います。「霊的」というのが理解できないようで、国際社会から浮き上がっているような印象を与えています。

  古代社会のパウロは社会的健康という現代の考えをまだ持っていませんが、今日の個所で分かるのは、すでに霊的な健康も、心の健康も、体の健康も、何一つ欠けた所のない者として下さるようにと願っているということは重要です。人の尊厳をそういう深さをもって見ています。人は肉体や心だけでなく、霊的な深いレベルでも健康でなければならない。それを祈っているのです。

                              (4)
  また、「平和の神ご自身が、あなた方を全く聖なる者として下さいますように」とあります。「全く聖なる者」です。

  旧約のレビ記19章に、「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主である私は聖なる者である」とあります。この言葉が元になって、新約では第Ⅰペトロ1章に、「聖なる方に倣って、あなた方自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい」という言葉が出て来ます。今日の個所もレビ記と関係があるのでしょう。

  結論だけ短かく申しますが、レビ記などは「聖なる者になれ」と語っていますが、神のように聖なる者になれと言っているのではありません。そんなことを言われても、なれる筈がありません。そうではなくて、神が聖なる方であるから、或いは、聖なる方であるので、聖なるものであれというのです。

  どういうことかと言うと、1つの意味は、聖なる方に向って方向転換せよと語っているのです。役にも立たないものが多くある。それから距離を置き、足を洗って、主なる方(かた)に向って方向転換する。そこにあなたの祝福の道がある。幸いの道が存在するということです。神に導かれる者として自分を位置付けよということでもあるでしょう。神が導かれる新しい道、未知の道に歩み出せということです。私がいる。冒険の道に生きよということです。

  第2の意味は、神の言葉に耳傾け、学ぶことによって、神の言葉があなたの生活のあらゆる領域に浸透するようにしなさいという意味です。私たちの生活が内側から変えられるために、神の言葉が平凡な日常生活の中で輝くものにということです。

  聖であることは強制できるものではありません。また強制すべきではありません。ただこの世に実在される神によって造り変えられた命を生きる。それをパウロは祈りました。

  そしてその祈りはテサロニケの信徒たちの祈りになり、私たちの祈りにもなるようにということでしょう。

  最後にパウロは、「兄弟たち、私のためにも祈ってください」と求めています。彼は他の人たちの祈りを必要としない人間ではありません。彼は弱さをイヤと言うほど知っていました。そして、自分をよくよく調べてみれば、すべての人間は祈られることを必要とする弱さを持つ人間です。

  彼はここで、祈り祈られる祈りの連帯が、キリスト者を堅く結びつけると信じ、私のためにも祈って欲しいと書いているのでしょう。祈りの連帯です。

  だから、26節で「すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶しなさい」と書いて、どんな兄弟にも寛大な大きな心を持って、心をオープンにして交わりなさい。信仰者として連帯していきなさいと勧めます。

  27節の「この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、私は主によって強く命じます」というのも、この手紙によって互いに堅く結びつき、連帯することができるようにということです。

  こうして最後に、「私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなた方と共にあるように」と、連帯の核となるお方に再び祈って、この手紙を閉じるのです。

       (完)

                                        2012年10月7日



                                        板橋大山教会   上垣 勝


       ・ホームページはこちらです;http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/ 

       ・板橋大山教会への道順は、下のホームページをごらん下さい。
                   http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/