イエスのユーモラスな一面


                      オーランジュの野外劇場のすり鉢型の客席
                               ・



                                          帰って来た悪の霊 (中)
                                          ルカ11章24-26節


    (前回から続く)
                              (2)
  「汚れた霊は、人から出て行くと」とありました。汚れた霊が追い出されるとというのではありません。何かの拍子にブラっと外に出掛けた。駆逐されたのでなく、気分転換で出掛けた。汚れた霊でもたまに物見遊山に出かけるわけですね。イエスの発想は面白いです。

  そして「砂漠をうろつき、休む場所を探すが見つからない。」パレスチナは荒涼とした岩山や砂漠が広がっています。「汚れた霊」ですから、人の心をカラカラにさせるような汚れた所に好んで行くのでしょう。でも太陽がギラギラ照りつけ余りにカラカラですから、さすがの汚れた霊も渇きでへとへとになって休み場を探したというのです。イエスは実にユーモラスに語っておられます。

  汚れた霊でも、休み場とか心の潤いなしに生きていけない。「それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う」というのですね。

  今日の個所は、コーヒー・ブレイクとでもいうか息抜きのような感じがする個所です。ですから気楽にお聞きください。ただ、息抜きでのんびりおしゃべりしている時に、瞬間的に非常に深い真理を悟らせられることもあって人生は妙ですから、そんな事もお覚え下さい。

  「砂漠をうろつき」という所から、パレスチナにあるネゲブの砂漠やシナイ砂漠のような現実の砂漠だけを固定的に考えなくていいでしょう。今も東京は砂漠の街と言われることがあります。地方に行くと商店街もシャッターが幾つも閉まり人通りがあまりにも少ない。そこはそこでまた別の砂漠化が進んでいる感じですが、大都会の渇き切った砂漠のような人間関係、その中で満たされることなくうろつき回っていることを考えてもいいでしょう。実に多くの人がカラカラになって生きています。あの最高顧問もあるいはそういう社会の犠牲者かも知れません。

  東京は砂漠です。で、うろつき回っているうちに休み場所を求めて、コーヒーでも頂きましょう。お茶にしましょう。休みましょうということで無数に喫茶店があります。

  大山は喫茶店より食い気の町です。食べ物屋が多いです。U座商店街の端っこの方に、最近5、6件の粋なお店が立て続けにオープンしました。これらもみな食べ物屋です。何故か、つけ麺屋が増えていますね。下町の例に漏れず、リサイクル店、100円ショップ、携帯電話の店、セブン・デイズという常識外れの店などが軒を連ねています。

  こんな話をすると、牧師は相当この汚れた霊のようにうろつき回っているように思われますが、私がしているのはウオーキングです。うろつき回っているのとは違います。ところがウオーキングしていても、時々やはり休む場所を探しています。だが、いい場所が見つからない。「それで、『出て来たわが家に戻ろう』と思って」、喫茶店に入らず、わが家に直行するのが私です。やっぱり汚れた霊とそっくりです。

  ところが帰って見ても、余り「家は掃除をして」いない。リビングも余り整えられていない。誰も責めていません。書斎が特にそうであります。掃除と整理整頓、そこがイエスが話された譬えと違うところです。

  ところがこれが幸いというか、汚れた霊の方は、戻ってみると掃除も整頓もしていてさっぱり気持ちよくなっているので、「出かけて行き、自分よりも悪い他の7つの霊を連れて来て、中に入り込んで住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」というのです。

  やはりこの話しは、時間がおありの時に、弟子たちと木陰に座ったりして雑談しながら、ユーモアたっぷりに語られた話でないかと思います。

   では、一体今日の話は、私たちに何を語っているのでしょうか。…

       (つづく)

                                        2012年9月2日



                                        板橋大山教会   上垣 勝



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