捨て石を用いる


                        何気ないデザインに異国を感じます                       
                               ・



                                           捨て石を用いる (上)
                                           詩編118篇1-29節
                                           黙示録7章13-17節

                              (序)
  先程の詩編118篇22節-23節に、「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主のみ業、私たちの目には驚くべきこと」とありました。これは、新約でイエス様が引用なさった大事な言葉で、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書すべてに出て来ます。「隅の親石」とあるのは、口語訳聖書では「隅のかしら石」と訳されていました。日本式には家の土台や基礎と言っていいでしょう。

  法隆寺五重塔は、聖徳太子が約1,300年前に建てたとされる日本最古の木造建築です。薬師寺の宮大工棟梁であった西岡常一(つねかず)さんは法隆寺五重塔について、1300年間沈むことなく、一本の大木のように揺るぎなく立ち続けて来た秘密は、その基礎にあると書いています。

  五重塔は、普通の家のように土の上に大きな石を置き、その上に柱を建てるということをしていません。先ず地面を1.5m程掘り下げてしっかりした粘土層に達し、その上に3cm程の良質の粘土を敷き詰めて突き固め、その上に砂利を敷いて突き固め、そこに粘土、そこに砂利と、何度も繰り返して、高さ3mになる頑丈な基礎を作って、その上に塔を建てたのです。

  こうして1,300年間に、数十回の地震があったが塔は倒れず、傾かず、今も堅固に立ち続けていると言うのです。

                              (1)
  さて詩編118編は5節で、「苦難のはざまで主を呼び求めると」とありました。この信仰者は苦難のはざまで、苦難に取り巻かれ、次々襲いかかる苦難の真っただ中にいて神を呼び求めたのでしょう。

  その中で、「主は私の味方。私は誰を恐れよう。人間が私に何をなし得よう」と自分を励ましました。まるでオリンピックの重量挙げ選手が自分を懸命に励まして、バーベルを頭上高く挙げるかのようです。「人間が」とある所から、病気や不幸でなく、この世の敵味方の人間関係、軋轢やトラブルが彼の苦難の元凶であることを暗示しています。

  8節、9節は、「人間に頼らず、主を避けどころとしよう。君公に頼らず、主を避けどころとしよう」と語っています。鼻から息をする人間の頼りなさ。何かあると態度を翻し、保身的に振舞ったり、時に寝返って相手に付く。彼はそんな悲しい、当てにならぬ世の姿を見て来たに違いありません。

  10節は、「国々はこぞって、私を包囲するが…、彼らは幾重にも包囲するが…、蜂のように私を包囲するが…」と語ります。「苦難のはざまで」と語っていた厳しい現実が、その全体像が、ここに至ってほぼ現われます。それは個人でなく、蜂の大群のように容赦なく攻めて来る国々です。

  ところが次の13節以降では、急に、苦難の中で主が助けて救って下さったことを回顧しています。そして、私は「生きながらえて、主のみ業を語り伝えよう」と、神の恵みを語り継ぐ決意を表明しています。これはすでに起こった彼の個人的な救いの歴史であり経験であったでしょう。その経験を自分だけにとどめず、主のみ業として長く語り伝いたいというのです。

  そして22節の、今日の中心聖句で、「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主のみ業、私たちの目には驚くべきこと」と歌います。

  家を建てる者というのは、先程の法隆寺とか薬師寺で言えば大工の棟梁。今では工務店の社長か現場監督でしょう。彼らは建築のプロで、ずば抜けた知識と豊富な経験を持ち、現場で素早く判断し指示を出せる人間です。

  リフォーム中、上板橋に住んで毎日現場を見に来ました。新築でなく、リフォームですから少しでも手抜きされては困りますので、設計事務所を開いているAさんに加わって頂きアイディアを頂きました。ある日来てみると、礼拝堂後部の天井の南北に渡しているH型の太い鉄の梁が、何とこれまで柱の上に乗っていなかったのです。柱でしっかり支えられず、ボルトで止めているだけだったんです。厳しく言えば、以前の工事は杜撰だったんです。費用の関係だったのでしょうか? 急遽、新しい柱を立てて補強し、鉄の梁を柱で支えるように改善してもらいました。危なかったんです。忘れていましたが、これは今回のリフォームの予期しなかった発見であり、耐震補強をしたお蔭でできたベストな手当てでした。

  現場に出入りしていて、大工の棟梁の判断力と権力を思いました。彼の一存ですべてが決まります。棟梁がヨシと言えば、そうなり。ダメと言えばダメです。

  「家を建てる者の退けた石」とありました。棟梁はどの石を選ぶか。Aの石、Bの石、Cの石がある時、Aを選んでBCを退けるのか、Bを選んでACを退けるのか…。一切は棟梁の胸三寸です。先程の西岡棟梁は3代続く薬師寺の棟梁の家柄で、一介の棟梁ながら、東大や京大の教授たち、他の大学の教授などとも大論争し、節(せつ)を曲げなかった。それ程棟梁の力は絶大です。

  私は今、建物のことだけでなく、色んな組織、また国家という家のことなども考えながら申し上げています。というのは、家という言葉は、ギリシャ語で「オイコス」と言います。これはエコノミー、経済の語源になった言葉です。経済というのは家の建築や国家建設と不可分の関係があるのです。

  経済政策という国家の骨組み、また電力政策の在り方など、何を基盤にしどう国を建てるか。どの発電を採用し、どの発電を退けるのか。経済界の重鎮たちが採用を勧める発電方法は、利益を最優先して果たして長期的安全を保障しうるのか。

  「家を建てる者の退けた石」という言葉は、そういう現実問題まで、いや、もっと大きな視点、今後世界をどういう基盤の上に、思想の上に築くのかという所まで、射程距離が延びていると思いながらお話ししています。

  「成長の限界」という考えが、数十年前からグローバルな問題として出されています。食糧問題、水資源、エネルギー資源、世界人口の爆発的増加。それらを考えるなら、成長の限界という事実の上に、人類は軸足を置かなければ、やがて行き詰まってしまうかも知れません。

  逸れましたが、「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主のみ業、私たちの目には驚くべきこと」と聖書は語るのです。絶大な力を持った棟梁が、「これじゃあない。向こうだ」と大工に指示した。ところが、「不要だ」と言って撥(は)ねられ、厳しく退けられた石が、「隅の親石となった」。

  「隅の親石」とは、石造りの家の四隅に置かれる大きな隅の石で、その中でも最も重要な巨大な頭石(かしらいし)のことです。この隅の親石、頭石がないと、家全体がかかる力を十分受け留められず、家は歪んで、やがて崩壊します。

  棟梁が退け捨てた石が、そのような最も大事な親石になったのです。これは奇妙です。不思議です。普通はありえない、驚くべきことです。聖書はそう訴えます。

  普通はそういうことはないでしょう。だがあるのです。不可能が可能にされ、ゼロでなくマイナスが用いられて、最も大きなプラスに変えられるのです。

      (つづく)

                                        2012年8月5日



                                        板橋大山教会   上垣 勝



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