ひねくれ者ほど味が出る


                        2千年前が活き活きと迫ります。     (クリックで写真が拡大)
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                                        探せ、そうすれば見出す (下)
                                        ルカ11章5―13節
        
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  先週ちょっと触れましたが、Aが知的障碍児であると分かって、当時は青天の霹靂で何日も眠れませんでした。これは本人の責任でも、親の責任でもありませんし、産婦人科医の責任でもないと考えています。知的障害の原因は現在は何も分かりません。人口比では約0.4%の割合で知的障害児が生まれます。障碍者全体は5%ですから、その約8%です。どこの家庭に生まれるか分かりません。ただ神が彼に知的障害を与えられたのなら、必ずそこに善い意味が含まれているだろうと考えています。この両親が選ばれたことにも必ず神の意図があると思います。君たちは必ずこの子を負って行けるから委ねると委ねられたのだと思います。責任は重いが、信仰を持って担って行って欲しいと願っています。

  ただ、今後の学校のこと、通常の学校か特別支援学校か支援学級かをやがて選択しなければなりません。中等部か高等部を卒業しても、普通の就職はできないでしょう。結婚もできないでしょう。親か先々は兄弟の世話になるのかも知れません。やがて親が亡くなればどうなるのかも考えます。一番かわいそうに思うのは、通常の私たちが味わう楽しみ、苦しみ、喜びを味わい、努力も挫折も味わって、他の人とそれらを語らって分かち合うことができないことです。自分のしたいことにチャレンジして、人生を豊かに深めてもらいたいですが、それができない。通常ならできることができない。その点が一番こたえます。単に一生、人にお世話になるだけの人生を送って欲しくないのです。これは過ぎた願いでしょうか。

  知的障害をもつと、大抵言葉の発達の遅れが伴います。「ア-」とか、「ウー」とか、「アンアン」、「タンタン」と言うだけで、中々2つの単語をつなげられません。理解に時間がかかります。記憶できる容量が少ないです。集中力も短い。ルールが分からないのです。ルールが分からないと言うことは、順番も分かりません。理解に時間がかかって反応が鈍いですから、他の子が次々するので、置いてきぼりにされ不安になります。知的障害児は不安を強く持っています。人が皆できる中で、どうしてそうなのか分からないので当然です。他の子がどんどん先に行きますから、不安ですし、怖がったり、怯えます。当然一人ぼっちです。交われません。その点、大人や小さい子どもは害を加えないので、その傍では比較的素直にのびのび遊べます。

  私は個人的に、Aちゃんのために、切に祈らずにおれません。皆さんもぜひお祈り下さい。執拗に祈れとイエスは言われています。知的障害は治りません。ほぼ100%駄目です。だが、私はバカかも知れませんが、祈らずにおれません。何とか、もう少し障害が軽くなりますようにと。単によくある言葉の遅れであって、知的には間もなく追いつくと思いたい…。

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  私の愛読書は、幼稚と思われるかも知れませんが、「ハイジ」という岩波少年文庫の子どもの本です。これを読むと涙が流れて来て止まらないのです。先日もまた涙を流しました。スイスのアルムの山の少女ハイジが、ドイツのフランクフルトに行きますが、夢遊病になって、仲良しになったクララと分かれて山に帰って来ます。フランクフルトはスイスのアルムから相当あります。大都市です。確か空港が3つあります。

  ハイジが元気になると、やがてフランクフルトのクララが、転地療養を医者から勧められて車椅子を持ってアルルの山に送られて来ます。

  ところが、ハイジの幼馴染のペーターが、ハイジを遠くから来たクララに独占されて嫉妬し、こっそり車椅子を谷底に突き落として粉々にしてしまうのです。そうすれば、クララはやむなくフランクフルトに帰るだろうと思ってです。

  クララはどこにも移動ができなくなります。だがその日から、ハイジは懸命にクララを歩かそうとします。そして何日も何日もかかって、何年も歩けなかったクララが奇跡的に一歩ずつ歩けるようになります。アルプスの山の空気と、ヤギの栄養たっぷりのうまいミルクとチーズなどで食欲が出て、健康がメキメキ回復して来たからです。

  ある夜、ハイジとクララは、ベッドの中からアルプスの峰々の上に輝く星を見ながら、お話しする場面があります。

  「神様が願いを聞いて下さらないのは、それは、神様が私たちよりも、もっと良いことをご存知だからなのよ。」9歳のハイジの言葉に、「どうしてそんなことを、いきなり言い出すの」と13歳のクララが聞きます。

  「本当はね。私はフランクフルトで、どうか家に帰して下さいと、一生懸命にお祈りしたの。でも帰ることができなかったわ。あの時、私は、神様がお聞き下さらないと思ったのよ。けれども、あの時に家に帰れたら、あなたはアルムの山には来なかったでしょうし、丈夫にもならなかったでしょう?」

  すぐには祈りが聞かれなかったからクララと長く生活ができた。それで2人は友だちになれた。だからクララもアルムの山に来ることができた。直ぐに聞かれないのには、何かわけがあるからだと言いたいのです。

  クララはじっと考え込んで、それから言いました。「でもね、ハイジ。もしそうなら、私たちは、お祈りなんかしなくてもいい訳じゃあないの。だって、神様は、私たちがお願いすることよりも、もっと良いことをして下さるわけなのですもの。」

  「そうよ、クララ。けれども、お祈りはやっぱりしなくてはいけないのよ。何もかも神様から頂いているということを、私たちが忘れないでいますと、神様に申し上げなくてはならないのよ。フランクフルトで、あなたのおばあさまがおっしゃったわ。私たちが神様を忘れれば、神様も私たちをお忘れになるって。だからよくって?私たちの願いがかなえられない時には、神様が聞いて下さらなかったと思ってはいけないわ。そういう時には、こう言ってお祈りするの。神様、あなたは、もっと良いことをお考えになっていらっしゃいます。きっと、もっと強くおはかり下さることと、喜んでいます。」

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  知的障害は治らないのです。しかし私は今も執拗に祈り続けています。これからも、気が狂わんばかり祈り続けます。Aは知的障害でなく、単に言葉の遅れから成長が遅いだけだと思いたいのです。自分を安心させたい。だが、私の願いがかなえられない時に、どうしようかと思います。その時は、少女ハイジの言葉に従って、願いがかなえられない時にも、神様が聞いて下さらなかったと思わないでおこうと思います。もっと、よいことをお考えになっていらっしゃる、「もっと強くおはかり下さると喜んでいきたい」と思おうとしています。

  それが、「天の父は求める者に聖霊を与えて下さる」というイエスの約束でしょう。イエスは「求めよ、さらば与えられん」とか、「魚を求めるのに、蛇を与えるだろうか」とか言われ、その後、「求め続ける者に聖霊をお与え下さらない筈はない」と、ちっとはぐらかすような言い方をなさっています。しかし、これははぐらかしではない。聖霊とは、私たちに新しい判断力を、行き詰りの中でもその事態を乗り越えて行く喜びの力を与えて下さる方だからです。Aのことでも、それをお与え下さらない筈はないと確信しています。

  解けない難問を持つこと、人生の課題を持つこと。それと取り組むこと。私たちは、課題をもたない時には、安易に薄っぺらに生きてしまいがちです。難題を持つことがいいのです。

  鹿児島の桜島に旅したことがあります。今も時々小爆発します。海に流れ出した溶岩が、奇妙な形をして海の中にゴロゴロして顔を出していました。それらの溶岩にクロマツが根を下ろし、何年、何十年経つのか、溶岩を割って根を張っていました。しかも日々荒波に洗われ、海風に晒されながら、どのクロマツも素直にすらっと成長していません。左に曲がり右に曲がり、ひねくれた不思議な形をしていました。だが見れば見る程、大自然の脅威と試練を受けて、非常に味のある枝ぶりで生えていました。ひねくれたものほど、味が出るようです。

  人間もそうではないでしょうか。試練や難問が人を味のあるものに育てていきます。祈りの真髄は祈ることです。神との交わりに祈りの真髄があります。ですから、キリストは、困難に際し、神に執拗に祈る生き方において、私たちを、その困難をバネにして、成長させて下さらない筈がありません。

  イエスはアルファであり、オメガです。初めであり、終わりです。私たちの先頭に立ち、しんがりになって、私たちと共に走って下さっています。案ずる必要はありません。イエス様に信頼し、もっと強くおはかり下さると、安んじて自分に預けられたタラントを使って行けばいい。

  「人生において重要なのは、成功することでなく、努力することである。根本的なことは征服したかどうかにあるのでなく、よく戦ったかどうかである。」最初にお話ししたクーベルタンの言葉は、今も私たちに呼び掛けています。

         (完)

                                        2012年7月29日


                                        板橋大山教会   上垣 勝



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