オリンピックとキリスト


    凱旋門をくぐり抜け、オーランジュの町に入って町を抜けるとそこに巨大な野外劇場があります。
                   今の時期、そこで演じられる野外劇は世界最高です。
                               ・




                                        探せ、そうすれば見出す (上)
                                        ルカ11章5―13節
        
                              (序)
  黙示録22章、聖書の最後のページに、「私はアルファであり、オメガである。最初の者にして最後の者、始めであり終わりである」という言葉が出て来ます。アルファ、オメガはギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字です。色々な意味を持ちますが、一つは、イエス・キリストは、人類の先頭を切り拓く方であると共に、最後を走る者、最後の一人と一緒になって走って下さる方という意味です。それはすべての人間が、人生をよりよく闘い抜くため、先頭に立って道を開拓し、最後にあってビリの人にも伴走して、救いへと導いて下さるためです。

  まるで大いなる族長のように、この宇宙船地球号の乗員すべてに責任を持ち、愛をもってお支え下さる方。ですから、「私はアルファであり、オメガである。最初の者にして最後の者、始めであり終わり。」この言葉は、私たちに希望を授けるものです。

  オリンピックがロンドンで開催されました。イギリスの田園風景を思わせる、緑の青草が繁る小高い丘がオリンピック会場に用意されて、色とりどりの衣装を着た数千人の選手が入場し終わると色とりどりの小花が会場に咲いたイングリッシュ・ガーデンのようになりました。あんなに大量の土をどこから運んだんですか。以前から用意していたのですか。真っ白な平和のハトがブルーの照明の中を羽ばたいて、何十羽も自転車に乗って会場を廻る風景は幻想的でした。自然との共生、エコロジカルな社会を訴えていたのでしょうか。

  近代オリンピックの父クーベルタンは、最初のロンドン・オリンピックの時に、競争に勝つために醜く張り合う大国の姿を目にしながら、教会の礼拝に出席していたそうです。そこで「オリンピックの重要なことは、勝利することより、むしる参加することでしょう」というメッセージを耳にしました。彼はそれを受けて、「勝つことではなく、参加することに意義があるという言葉は至言だ。人生において重要なのは、成功することでなく、努力することである。根本的なことは征服したかどうかにあるのでなく、よく戦ったかどうかである」と語って、そのオリンピックを始めたのです。

  イエス・キリストは人類と共に走っておられます。先頭の者も、最後の者も、よく戦うこと、努力すること、自分に預けられたタラントを発揮できるように、アルファになり、オメガになり、最初になり、最後になって、一緒に走って下さっていると言っていいでしょう。イエスはインマヌエル、「神われらと共にいます」という方であると新約聖書の最初で言われています。イエス・キリストは先頭に立ち、最後になり、人類のすべてと共に進んで下さるために世に来られたのです。

         (つづく)

                                        2012年7月29日


                                        板橋大山教会   上垣 勝



       ・ホームページはこちらです;http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/ 

       ・板橋大山教会への道順は、下のホームページをごらん下さい。
                   http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/