トラウマと赦し


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                                           先ず小さな一歩から (中)
                                           マタイ7章24-29節


(前回から続く)
                              (2)
  海開きのシーズンですが、浜じゃ屋なら杭は簡単に打ち込めます。しかし土砂降りになったり、浜風が強くなると倒れるんじゃあ仕方ありません。そんな安易なことでは、到底、住いにできません。砂の上に家を建てるとは、安易な建て方をすることです。建物のことでは誰でもそれは分かっています。しかし人生の問題になると分からなくなります。

  創世記6章に、ノアは、「その世代の中で、神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」と書かれています。彼は神の御心に従って生きようとした人であったと言うことです。彼はみ言葉を聞いた時、何をしたでしょう。山の上で箱舟を作り始めました。それを見た人たちは皆、ゲラゲラ笑いました。ノアの家族は変なことをし始めたとバカにしました。しかし彼は家族総出で、山から木を伐採し、大鋸(のこ)を引き、鉋(かんな)をかけ、ノミで掘り、設計図に従って組み立て、かすがいで留め、くさびを打ち込み、最後に内側にも外側にもタールを塗って防水し、何カ月もかかって完成したのです。

  やがて天から最初の雨つぶが落ちて来ます。人々が家の中で飲んだり食ったり騒いだりしている矢先に、外では雨が本格的に降り出し、まさかそれがノアの大洪水になるとは誰も知りません。「雨が40日40夜、地上に降り続いた」とあります。これまで経験したことがない土砂降りの雨が、40日40夜、止むことなく降り続いた。そして大地がことごとく水に飲まれる大洪水が起こり、箱舟に入ったものたちの他、すべての生き物が地上から死に絶えたという話です。

  この物語から色んな事を考えさせられます。1つは、大勢に流されて生きるのでなく、神に、真理に心を向けて生きるとはどういうことかということです。

  それと共に、この物語は、み言葉を聞いて行なう所には、必ずと言っていいほど困難が伴うことも示唆しているでしょう。それは私たちの日常でも起こります。本当に今、人類がなすべき道を知った。だが、誰もそれを理解してくれない。その道を貫けば大反対を受ける。じゃあどうするのかということです。  

  決断も要りますが、反対も、軽蔑も、中傷も、迫害だってあるかも知れません。自分の中からも、明日への思い煩いが起こります。こんなことをしてたって、ダメなんじゃあないか。自分こそおかしいんじゃないか。そういう反省です。だが、ノアはみ言葉に留まり続ける中で、やがてみ言葉の真理が証明されたのです。み言葉に聞いて行なうことが、岩を土台とするものであったことが、やがて判明したのです。


  先週の新聞に、キム・フックさんのことが出ていました。キム・フックさんと言っても、誰れ?って思われるでしょう。

  ベトナム戦争の時、村がナパーム弾の攻撃を受け、彼女は1千度近い高温の火傷に晒され、泣き叫びながら逃げる素っ裸の少女の写真を覚えている方もあるでしょう。背中は写真では見えませんが、全体に重度の火傷を負っていました。14か月の入院、17回の手術を受けて、死ぬと見られていた9歳の少女は奇跡的に助かりました。写真には、彼女と共に、従兄や友だちも口を開けてワンワン泣きながら走って来る姿が写っています。丁度40年前の1972年6月のことです。全世界に配信され、私もその写真を見たことがあります。これによってベトナム反戦運動が更に盛り上がりました。翌年この写真はピュリツアー賞を受賞しました。

  キム・フックさんはその後カナダに亡命し、今49歳ですがユネスコ平和親善大使として活動しておられます。

  彼女はその出来事は思い出すのも恐ろしく、何とかしてその過去から逃げたかったのですが、戦後、ベトナム政府に英雄のように扱われて政治的に利用されたのだそうです。医者になりたかったのに、学校を辞めさせられて自宅に帰されました。それが一番辛かったのだそうです。10代の彼女は、「なぜなの? なぜ、私なの。なぜこんなことが私に起こったの」と問い続け、怒りと、恨みと、敵意に生きて、人生は耐え難い重荷でしかなくなった。「『なぜ、私なの?』。私を傷つけた人たちを呪い、私以上の苦しみを味わえばいい、とさえ思った」と言います。死を考え続けたようです。呪いは自分にも、自分を傷つけた人たちにも向かいました。

  ところが、真っ暗な泥の中からクロッカスが芽を出し、やがて春を告げる可憐な花を咲かせるように、キムさんの暗黒の時期に真理の種、信仰の種が蒔かれたのです。彼女は人生の意味を、真理を、自分が苦しんでいる背後の意味を知ろうともがいていました。なぜ、あの小さな少女がまだ生きているのか。その、わけが知りたいのです。

  19歳の時、転機が訪れます。学校を辞めさせられて図書館に通う中で聖書に出会い、「汝の敵を愛せよ」というイエスの山上の説教に出会い、衝撃を受けます。この言葉が心の琴線に激しく触れたのです。また、彼女は自分自身の罪にも目覚めます。そして自分が赦されなければならない人間であることを知って、やがてキリストに導かれ、心の中から何日もかかって真っ黒なものを吐き出して行ったのです。それと入れ替えに、心に明るい救いの光が差し込んで来ます。キリストの赦しの光です。恵みの光、憐れみの光です。それと共に、彼女は人々を大胆に赦して行くのです。村を爆撃したパイロットも、ベトナム政府も、次々と赦していく。

  1996年、ワシントンDCでベトナム帰還の退役軍人の集会で話をする機会がありました。彼女は彼らの前に進み出て、自分の国を破壊し、自分の村にナパーム弾を投下した人たちを前にして、赦しを語ったのです。感動的な場面です。

  集会後、崩れるばかり取り乱した1人の男が進み出て、自分はあなたの村を爆撃したパイロットですと名乗ったそうですが、彼女はその人にも、「私はあなたを赦します」と語りました。

         (つづく)

                                        2012年7月15日



                                        板橋大山教会   上垣 勝



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