二人の女


                               ・


                                             二人の女 (上)
                                             ルカ10章38-42節


                              (序)
  ここに2人の女が登場して来ます。

  私は男だけの4人兄弟です。男の兄弟だけですから、女兄弟のことはよく分かりません。妻には姉がいます。ほぼ40年間、傍で定点観察して来ましたが、ある時は何日も仲良く一緒に旅行したり、ところが何かあったか比較的長く行き来が止ったり、いつの間にかよりが戻っていたり、ある年齢になると趣味と体力づくりに凝って互いに関心が薄れたと思っていたら、またひっきりなしに行き来し始めたり、女兄弟というのはよく分からないですね。ただ、私は10歳も離れている男兄弟ですから、きっと色眼鏡で見ているかもしれません。

  そんな人間ですから、この2人の女にも理解できない所がありますが、お許し頂いてお話し致します。

                              (1)
  この出来事があった村はどこの村か、どこにも書かれていません。もしこの姉妹の弟はラザロだとすれば、ヨハネ福音書のマリアとマルタでしょうから、ベタニア村ということになります。ベタニア村なら、必ずしも名前がそれを表わしませんが、「貧しい者の家とか、悩める者の家」という意味からして、その土地は石の多い痩せ地か山の北斜面の地で、彼らも裕福な家庭でなかったと考えられます。ただ、ルカ福音書の前後関係とその位置関係からすれば、ベタニア村だとも特定できません。

  さて、「一行が歩いて行くうちに、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた」とありました。

  恐らく一行は、偶然、彼らの家の近くを通っていた時に、マルタがイエスを招き入れたのでしょう。想像を逞しくすると、彼らの家は、旅人などが行き来する比較的広い本通りから脇にそれ、引っ込んだ所にあったと思われます。マルタは庭に出ていたが、ふと通りの方を見るとイエスの一行が目に入った。庭には鶏や羊やヤギが放し飼いされ、番犬もいて自由に遊び回っています。彼女は、本通りからこちらを見たイエス様に声をかけて、ぜひお立ち寄り下さいと、走って行って迎え入れたということでしょう。

  マルタは「イエスを」家に迎え入れたとなっていて、「一行を」迎え入れたとなっていません。マルタはイエスしか目に入らなかったのでしょう。しかしイエスを迎え入れると、むろん一緒に旅をしている12弟子、そしてこの時は72人の弟子たちも一緒にいる気配ですから、後から80人余りがぞろぞろ家に入って来たということでしょう。

  12人でも大変ですが80人です。皆さんなら、どうしますか。マルタは大勢の男たちを見て驚いたでしょう。それにマルタの家は貧しい者の家、病める者の家であったかも知れないわけで、もてなそうにも、その日暮らし同様の者に余分のお金もない。マルタは慌てたでしょうね。今なら、この教会だと、急いで普通のスーパーより安いビッグAに走って、80本のペットボトルとおにぎりを買って来れますが、といっても重いですよ。個人の家にそれだけのコップもない。もてなしと書いていますが、一体何を出そうとしていたのでしょう。今から何かを作ろうとしたのでしょうか。旅の途中のお客さんには飲み物が一番ですが、お水だけ出すにも、ご近所からコップをかき集めて来るしかなかったでしょう。パレスチナによくあるのは、ナツメヤシの実でしょうね。あれは、熟せば甘く、風味ある美味しい果物です。イチジクも熟していれば美味しいでしょう。向こうのは青くても甘いです。

  今、言いたいのは、マルタは80人ものお客さんが入って来て、最初から心乱し、慌てたということです。よくそれだけも入ったと思いますが、土間に車座になって座り、立つ者もあったでしょう。でも彼女は、お客さんに困っている姿を気づかれずに、温かく接待したかったでしょうから、「マルタは、炊事場に入って、色々のもてなしのために、せわしく立ち働いていた」のです。

                              (2)
  しかし、妹の「マリアは主の足元に座って、その話に聞き入っていた」とあります。

  これも想像ですが、妹はまだ若い上に、姉が普段から家事をしっかり取り仕切るので、余り台所仕事は要領を得ないし、得意でない。姉の方は家事に慣れ、達者に家計をやり繰り出来るタイプでしょう。

  むろん妹のマリアも、これだけ沢山の急なお客さんです。姉を手伝わない筈はない。部屋を片付け、出来るだけ広いスペースを作ったでしょう。しかし、マルタが台所で手間取っているうちに、イエスは弟子たちに話し始められた。

  狭い台所は一人が動き回るのが精一杯です。姉が、これをして、あれをしてと言はないのに、勝手にはできません。暫くは傍で様子を見ています。しかし台所にも、イエスの声は聞こえて来ます。聞くともなく聞いていると、段々引き込まれて、いつの間にか台所と居間の境の柱にもたれかかって、姉の方もチラチラ気にしながら、聞き耳を立てて聞いています。それでもまだ姉は自分を呼びません。そのうちマリアはイエスの傍まで行って、暫らく立って聞いていたが、やがて足元にしゃがみこんで本格的に聞き入ってしまった。

  すると、いつの間にか姉が傍に来て、「主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と言った。直接でなく、イエス様に言い付けた。しかも、「何とも思いになりませんか」などと、イエス様に対してもぞんざいに言ったのです。相当腹の虫が収まらなかったのでしょうね。

  これは私たちの身の回りでも起こるようなことです。私は手伝おうとして横で立っていると、「うるさいから、向こうに行ってて」と言われることがあります。「うるさいから」というのは付け足しですが、台所仕事は手がいる場合といらない場合がある。立っていないで、これを運んでと言われる場合もあります。向こうに行っててと言われれば向こうに行き、手伝ってと言われれば手伝い。私などはさながら従順かつ善良な召使、サーバントです。

  イギリスで、つなぎで一週間だけ公認会計士のお宅にお世話になりました。息子さん2人はオックスフォード出の秀才でした。50代のご夫妻で、息子さんたちも独立し、お二人だけの家庭でした。リビングの前は彫刻もある広い庭で、庭の奥は深い森へと続きます。でも町の中心街まで自転車で僅か15分程でした。比較的新しい石造りの建物ですが、10幾つかのお部屋があるお屋敷でした。

  奥様は低血圧で朝は遅い。ご主人は早起きです。毎朝、ご主人がモーニング・ティーを入れて、休んでいる奥様のベッドに運んで行くのだそうです。奥様はクラシックを聞きながらお目ざめになって、モーニング・ティーをゆっくり楽しみ、やがてベッドルームから出て来ると言っていました。

  皆さまのお家でも、こういう生活をしたいでしょうか。私たちは驚いて、どうしてそんなことが出来るのですかと尋ねましたら、「夫は、ウエル・トレインド・ハズバンド」、善く躾けられた夫ですと言って、傍で夫がにこやかに笑っていました。

  マルタは、いつの間にかイエスの所に来て、「主よ、私の妹は、私だけにもてなしをさせていますが、何とも思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃって下さい」と言ったのです。

  直接言えばいいのに、イエスに訴えた。しかも命令調です。「イエス様、あなただってお分かりでしょう。」マルタとペトロは似ていますね。ペトロはイエスを諌め、マルタはイエスに命令したのです。神の子に命令です。イエスは柔和で謙った方ですから、叱り易かったのかも知れませんね。

  マルタはマルタの言分があったでしょう。「私はイエス様を招じ入れたのに、お話しを聞けないで、妹が聞いている。自分は悪い籤を引いた。皆さんを温かくもてなそうとしているのに、妹は私のことが分かっていない。いっつも、あの子はこうなんだから。一度注意してやって下さい。」

  「いっつも、あの子はこうなんだから」とは書かれていませんが、私たちならそう言うでしょう。すると、「いつもじゃないわ」とか、「いや、いつもよ」とか押し問答をして、私たちならいっつも口げんかになる…。

      (つづく)

                                        2012年7月1日



                                        板橋大山教会   上垣 勝



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