現代の善きサマリア人


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                                          あなたの隣人とはーⅡ (下)
                                          ルカ10章25-37節

                                         ・説教などで引用される方は「コメント」を
                                          お残しください。



  (前回からつづく)
                              (3)
  長々とイエスの話しを辿りましたが、このサマリア人の譬えを語るとイエス様は、律法学者に向かって、「あなたはこの3人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問われました。すると、彼は正直に、「その人を助けた人です」と申しました。するとイエスは、「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われたのです。

  律法学者が「その人を助けた人です」と言ったのは、彼の心にまだ残っている良心の声のほとばしりでしょう。イエスはそれを聞かれるや、「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われたのです。

  律法学者は知識だけで傲慢に生きているような人物でしたが、イエス様は、彼の中にたとえ僅かでもまだ良心の声が残っているのを見逃さず、「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われた。従来この個所では、律法学者への批判が強く為されますが、その要素もここにありますが、私は今回、律法学者へのイエスの思いやりも感じました。

  彼の一番弱い点だが、そこを突破すれば彼にも新しい世界が拓けて来る。イエスはそう考え、どんな人間も諦められないのです。どんな人間も冷たく切って捨てられないのです。ゲラサの狂人さえ救うために、嵐を突いてガリラヤ湖を対岸に渡られました。住民がすっかり諦めている、たった一人の狂人を救うために嵐の海に乗り出されました。イエスこそ、善きサマリア人と言っていいでしょう。

  律法学者はイエスを試そうとして立ち上がりました。どうにかして自己正当化しようとするとんでもない男です。だが、イエスはこの律法学者をも愛して、彼の殻が一度破れて、新しい自分を見出すようにアドバイスをされたのです。

  「その人を助けた人です。」では、「行って、あなたも同じようにしなさい。」ここにあなたの新しい将来がある。あなたの新しい可能性があり、出発点があり、あなたが本来求めている永遠の命に至る道があることを示されたのです。

  イエスは別の所で、金持ちの青年を慈しんで言われたことがありました。ここでも、イエスはこの男を慈しまれたのでしょう。彼の魂も失われてはならないと考えられたのでしょう。

  それで、謙ったサマリア人の譬えをお示しになって、「あなたには、まだ良心の声が残っている。それを聞きわける力がまだある。さあ、行きなさい。」イエスは、彼の魂に、「目覚めよ」と呼びかけられたのです。イエスは彼をも愛し、彼をエジプトの肉鍋から解放して、新しい約束の地を垣間見せられたのです。

  律法学者は、「私の隣人とは誰ですか」と問いました。しかしイエスは、「誰が強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」と言われました。発想の180度の転換です。まったく違った切り込みです。隣人とは誰かでなく、誰が隣人になるか。あなたは苦労する者の隣人になろうとしているか。何かを捨て、何かを犠牲にして本当に隣人になろうとしているのか。

  家族の中でも隣人がいない場合があります。身を寄せ合って暮らしていますが、単に共同経営の店舗みたいに稼ぎだけに目が行って、誰も互いに犠牲を払おうとする人がいないのです。

  「行って、あなたも同じようにしなさい」とは、「あなたも地に落ちた一粒の麦になりなさい」というご命令です。自分を、最も必要としている苦労する者のために自分を捨てるかという問いでもあり、あなたを必要としている人が目の前にいるが、向こう側を通って行っていないかという問いでもあるでしょう。

  そしてイエスは、一粒の麦として地に落ちて死ななければ、決して実を結ぶことはない。だが、死ねば多くの実を結ぶと言われるのです。

  受けるだけ、自分に集めるだけ、奪うだけ、助けられるだけの人生であってはならないのではないでしょうか。誰しもが反省すべきです。イエスが教えられた、愚かなお金持ちになってはならないのです。金では買えないものがあるのです。

  イエスはこの律法学者も愛されるのですが、だが見方によっては、彼はイエスの言葉によってそのエゴイズムが叩き割られたと言ってもいいでしょう。モーセの杖が、エゴイズムの岩を叩き割って、そこから人々を潤す豊かな水が流れ出したように、です。イエスの愛は生ぬるいものではありません。優しいだけのものではない。真実に、私たちを砕かれる愛です。私たちは時に、本物によって裁かれ、砕かれなければならない。

  そして、私たちはエゴイズムの価値観が叩き割られる時にのみ、人を豊かに潤す水が内から流れ出るということを知るべきです。

                              (4)
  「行って、あなたも同じようにしなさい」という言葉を狭く考えなくていいでしょう。また、大きいことをせよということでもありません。「憐れに思い」という彼の動機こそ肝心です。

  荒唐無稽と思われるかも知れませんが、現代社会において、追いはぎに襲われて傷つき倒れているのは、人間だけでなく、動植物など生物でもあるとも言えないでしょうか。環境が人間の手によって破壊され、半殺しにされている姿があちこちにありはしないでしょうか。

  丁度今月は、レイチェル・カーソンという海洋生物学者が「沈黙の春」という書物を世に出して50年になります。50年前の6月16日に初版が出されました。日本では何故か、この世界的な事柄が触れられず、皮肉にも暮らしのためという理由で環境破壊の親玉である大飯原発の再稼働が先週決定されました。

  世界を変えた書物という言葉は時々聞きます。だが実際に世界を変えた本はそうざらにと、ある英字新聞は書いていました。しかし、「沈黙の春」は世界の人々の考えを根本的に変えたというのです。彼女は除草剤として、農薬として使われていたDDTその他が、食物連鎖によっていかに環境を破壊しているか。農薬が微生物を殺し、微生物を食べている虫たちを殺し、虫を食べている鳥たちを殺し、春が来ても鳥たちの声がしない沈黙の春になっているかを鋭く実地分析して世に問うたのです。

  先程歌った讃美歌355番は、「こずえ高く、鳴く鳥の、歌よ響け、山越えて」とありましたが、レイチェルさんは鳥の鳴き声がグンと減ってしまったことを悲しみ、訴えたのです。

  それはアメリカ国内にセンセーションを巻き起こしましたが、彼女は農薬や製薬会社から大迫害を受けます。大企業との闘いになったのです。しかし実地調査に裏付けられて、更に「地球を巡る海」というような書物によって、専門家の良心をもって世に問いかけ、地球の生態系を守るために奮闘しました。

  現代の善きサマリア人は色んな姿で現われていいでしょう。先程の神谷美恵子さんも一人の善きサマリア人であられたでしょう。共通する根本的な動機は、「その人を見て憐れに思い」というものです。そういう腸がねじれ、千切れる程の強い感情や直観を捨ててはなりません。自分をごまかしてはなりません。イエスは人が持つ自然な感情の発露を大切にされます。

  福島の子どもたちのために、放射線量の少ない各地に子どもたちを連れて行って、保養プログラムというのが行われています。安全な地で思いっきり遊ばせたいという取り組みです。バスから降りた子どもたちは、「ここって、土に触っていいの」と尋ねるそうです。痛々しい姿です。父を離れて母と子どもが県外で暮らす家族が多くあるようです。祖父母が、県外に住む孫に、「福島に来ない方がいい」と言っているそうです。

  福井の大飯原発が再稼働されました。その北陸の若狭地方で囁かれていることは、「他の地域に比べて癌の発生率が60%強高い」ということです。その地で私も聞きました。その地で働く医師が証言していますが、町に不安を与えるかも知れないと未だ大っぴらには言われないのです。水俣病は、県も国も明らかにしない中で、暫らく前に亡くなられた熊本の医師・原田正純さんが水俣病の実態を明らかにしました。常に患者の思いや立場を考え、患者の苦しみに付き添って来られた結果と言っていいでしょう。そこにも、「その人を見て憐れに思い」という腸が捻じれ、千切れんばかりの思いがあったと思います。

  イエスは傷ついた人のうちに隠れておられます。最も小さい人にしたのは、即ち、私にしたのであると言われます。傷ついた人の隣人になることは、イエスと共に生きることであり、イエスと共に生きることは、重荷を負う人、傷ついた人の隣人になって愛に生きることです。

  その手間、その労力、その時間は、隣人愛というお金に換算できない価値をもっています。

       (完)

                                        2012年6月24日



                                        板橋大山教会   上垣 勝



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