高らかに、朗らかに、晴れやかに歌う


                                         イエスの喜びの祈り (上)
                                         ルカ10章21-24節


                              (1)
  この祈りには、澄んだイエス様のお心、ただ神にのみ、人々を愛しながらただ父なる神にのみ向かって行かれるイエスのお心が感じられます。「聖霊によって喜びにあふれ」とありますが、まさにきよき聖霊に満たされて、聖なる神への感謝と喜びが満ち溢れている素晴らしい祈りです。

  最初の言葉からしてそうです。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。」なんと晴れやかに、天地に満ち溢れる神の創造のみ業を望み見ながら、父なる神を高らかに、朗らかに、ほめ歌っておられます。

  イエスのお心には平和が漲(みなぎ)っていたでしょう。平和はイエスの命の中心にあったと言っていいでしょう。心に真の平和がなければ、澄んだこういう喜びの言葉を発することは誰しもできません。この平和は、父なる神との交わり、神によって世に遣わされたことへの信頼、かつてヨルダン川で、バプテスマのヨハネから洗礼をお受けになった時に、天が開けて、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」というお言葉があったと記されていますが、天の神から来る平和であり、喜びです。

  言葉を変えて言えば、今日の22節で、「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父の他に、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう者であるかを知る者は、子の他になく、また子が示そうと思う者の他には、誰もいません」とあるように、ここにあるのは父なる神と一つであることの中に根差した力強い喜びであり、平和であったと言っていいでしょう。

  「父の他に、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう者であるかを知る者は、子の他になく…」とは、父の他に、子の本質、その使命、なぜこの世に子が遣わされたかという理由を知る者はなくという意味です。子なるキリストと父なる神。その密接な一つとなった相互の信頼ゆえの喜びであり、父と子が共に一致していることの喜びです。

  そして更に、先週の個所との関係で、地上の72人の弟子たちに、「あなた方の名が天に書き記されていることを喜びなさい」と語って、最も大事な弟子の証しの使命と任務を、彼らに教えることが出来た喜びで溢れられたことでもあります。

  ここには、イエス様も、一つ一つの小さな確実な喜びの上に、ご自分の歩みを積み重ねて進んでおられる様子が窺われます。どの福音書でもそれに目を通してくだされば分かりますが、イエスの生涯は、一つ一つの試練を乗り越えた喜びの積み重ねです。イエスはこの時、既に受難予告を12弟子になさって、今、十字架への長い道のりを歩いておられます。ですから、悲観的な状況が見えたり、不安が襲って来ることがあった筈でしょうに、それにも拘らず、マイナスに見えることを通しても神が果たそうとしておられることを堅く信じ、敢えて喜びをもって進んで行かれる訳です。敢えて喜ぶ。それは強がりでなく、神への信頼であり確信であることが、ここから伺えます。

         (つづく)

                                        2012年6月3日



                                        板橋大山教会   上垣 勝



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