あなたの名は天に記されている


                            空中の語らい
                               ・




                                         あなたの名は天に記されている (下)
                                         ルカ10章17-20節


                              (5)
  「あなた方に害を加えるものは何一つない。」地上の何ものも、あなた方の本質を損ない、害を加え、傷つけることはできないのです。あなた方の本質、あなたの命の真髄は神によって守られている。それを覚えることが、弟子の任務である。喜ばしい責務である。

  弟子たちは、イエスの単刀直入な言葉に、再び心を引き締められたでしょう。自分たちの未熟さを思ったでしょう。しかしそれでいいのです。イエスの前で悔い改めることが人間としての深まりであり、信仰の深まりになるからで、その事を私たちはしなければならない。

  イエスは、「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなた方に授けた」と言われましたが、錯覚して神の権威を私物化してはならないのです。私物化せず、いつまでも自分がイエスの権威の下にあることを色褪せないようにしなさいとの戒めでもあったでしょう。神の権威の下にある者たちの心遣いと根本的な姿勢の言葉です。

  先週は10章12節まででしたが、13節から16節を飛ばして、今日は17節からお読み頂きました。飛ばした所には、悔い改めない町々への叱責が記されています。コラジンやベトサイダ、カファルナウム等への叱責です。カファルナウムに向っては、15節で、「お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ」とあります。

  弟子たちもイエスの権威に与って勝ち誇り、思い上がっているなら、陰府にまで落とされると、警告しておられると見ていいでしょう。

  だが、あなたがたの名が天に記され、あなたがたの国籍は天にある。あなた方は天国の市民である。その事を喜びなさい。それを心に刻みつけて生きなさい。そこにあなたの力の源がある。そこに弟子の働きの力の源がある。

  一人の高齢の婦人が引っ越しして、ある教会に入って来られたのです。教会の人たちは、この方は何か賜物をもっていらっしゃるだろうと考えましたが、ご本人は、自分は何も賜物はありませんとおっしゃるだけなのです。それである人が、「あなたが居てくれるだけで十分です。その存在が大事なんですから」と言って、慰めたそうです。そんな安直な慰め方を私たちはしがちです。やはり、その婦人は満足しなかったのです。暫くして、その方は、自分はこの教会の一人ひとりのために、名前を挙げて祈ろうと、取り次ぎの祈りを思い付いたのだそうです。執り成しの祈りです。

  やがてその事がこの方の使命になり、それをすることが嬉しくてたまらなくなったのだそうです。やがて、教会の人たちは、この方の存在と祈りが教会にとって不可欠であると知るようになったのだそうです。(J.バニエ)

  「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」イエスの言葉は一人の人間を造り変え、使命を与えていくのです。この婦人は、イエスの深い愛に触れて、その教会でのご自分の使命を発見して、誰もまだしていないことをご自分の使命として行かれたのです。イエスの言葉が力の源になり、色んな素晴らしいものが湧いて来るのだと思いました。


       (完)


                                        2012年5月27日


                                        板橋大山教会   上垣 勝



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