でも、あなたの本質は損なわれません


                      悠久の川ソーヌの源はスイス・アルプスです。
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                                         あなたの名は天に記されている (中)
                                         ルカ10章17-20節


                              (4)
  さて、イエスは弟子たちの報告に、「わたしはサタンが稲妻のように…、蛇やサソリを踏みつけ…、害を加えるものは何もない」などと語って、相槌を打ちながら、邪悪な力や敵のあらゆる力に対する神の権威の力を語られました。しかしそれと共に、彼らが、「わたしたちに屈服します」と得意になって報告する姿に、危ない落とし穴も見抜かれたのです。彼らの有頂天ぶりからすれば、それを自分の手柄にするまであと一歩だからです。

  本質的な事柄は、サタンがどうのこうの、外面的な事柄がどうのこうのではない。それも大事であるが、最も重要なのは平和のメッセージを携えてイエスから派遣された「あなたがたの名が、天に記されていること」、「命の書に名が記されている」ことである。あなたがたの存在が神の前に覚えられていることである。

  「悪霊があなた方に服従するからと言って、喜んではならない」とは、目先のこと、目に見える事柄で一喜一憂してはならないということでしょう。もっともっと大きな喜びがあるのであって、あなた方がわたしの弟子として派遣されて、従った中に、その大きな喜びが隠されている。その喜びこそ、あなた方が喜ぶべき喜びであるということです。

  そう語って、「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と語られたのです。目先のことでなく、天に名が書き記されており、それは決して消されることがないこと。時空を超えて永遠の神に覚えられていること、誰もあなたがたを滅ぼせないことです。19節の、「あなた方に害を加えるものは何一つない」という言葉は、この20節と相まって、弟子たちを根本から励ますものです。

  イエスがおっしゃることは、地上の何ものもあなたがたの本質を傷つけたり、害を加え、損なったりすることはできないということです。あなた方の本質、その命の中心は神によって守られている。そのことを覚えることこそが、弟子の使命であり、責務であるということです。

  そこに目を留める時、あなたがたは決してなくならない希望を与えられ、絶えず湧き出る力を授けられ、弟子の使命と責務を喜びをもって果たすことが出来る。その事こそあなたがたは喜びなさい。すなわちあなたがたは神に愛されているということです。神によって平和と希望が保障され、確保されているということです。

  そして、それを知らされ、それを喜ぶことは、神の聖霊の働きです。今日はペンテコステ聖霊降臨祭ですが、聖霊は私たちに、この神の恵み、神のみ旨を、約(つづ)めて言えばそれはイエス・キリストという方の恵みですが、いわく言い難い力をもって教えてくれるのです。

  旧約聖書士師記に、サムソンの怪力の秘密は、生まれてから一度も剃刀(かみそり)を当てたことがないその髪の毛にあったと書かれています。私たちの力の源は、「あなた方の名が天に書き記されている」という事の中にあるということです。

  ですから、勝った、でかした、万歳という勝敗の問題ではなく、あなた方が誰のために働き、何のために生き、なぜ働くのかの方がもっと重要であるということです。

  私たち人間は誰しも、どこから来て、どこへ行くのかが、最も根本的な問題です。これはキリスト者だけでなくあらゆる人が考える一番根本的な課題ですが、「あなた方の名が天に書き記されている」という事は、その根本的な課題に迫るものです。人間の根源的な問いへの答えです。

  最近、牧師館の食卓テーブルに、家内が庭で咲いた花を生けてくれています。狭い庭に、いつの間にか50種類ほどの花が植わって少し混み過ぎていますが、赤、青、紫、オレンジ、白、黄色など色んな花を摘んで、小瓶に活けて食事の時に毎回楽しんでいます。食事が一段と美味しくなります。外国の花も一杯あります。始めて見る、日本の牧師館のリビングに飾られて、彼らは驚いている様子です。見つめていると、小さな花たちの心が伝わって来るような気がします。

  先日、金環日食がありました。皆さんもお感じになったでしょうが、日食が最大になるにつれて、辺りが薄暗く陰りました。雲が出始めましたが、雲に隠れるのとは違う、簾(すだれ)の下にいるような不思議な暗さでした。皆既日食なら夕方のように暗くなったでしょう。6時半から9時頃まで約2時間半でした。イエスが十字架につけられた時、正午から天地が暗くなり3時まで続いたとあります。金環日食でなく、3時間の皆既日食だったのでしょう。それも、月が今回よりかなり地球に近かったか、太陽が遠かったので、時間が長かったのでしょう。

  食卓の小瓶に挿した小さな花々は、皆太陽の光を受けて、それぞれ独特な形や色や表情となって咲くようになったのです。私たちは小さな花に目を留めていますが、小さな花々は実は太陽を見詰めて咲いているのです。大地から栄養を得ながら、太陽を命の源として光合成され、緑の葉っぱを着て花を咲かしている。

  私たち人間も、どこから来て、どこへ行くのか、「あなた方の名が天に書き記されていることを喜びなさい」という、この一点が自分の本質的なものだと信じて生きる時、それぞれの色合いと表情を持った個性ある花を咲かせることが出来るのではないでしょうか。

       (つづく)

                                        2012年5月27日


                                        板橋大山教会   上垣 勝



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