愛は一日にて成らず


                                         写真をクリックすれば拡大します。
                    たっぷりのオリーブ油で軽く炒めたフカヒレが絶品でした。
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                                          落ち着いた生活を (上)
                                          Ⅰテサロニケ4章1-8節


                              (1)
  テサロニケ教会は、ギリシャマケドニア州の州都にパウロの伝道によって生まれました。恐らく西暦49年頃です。当時は都市住民と周辺の農村地域の住民とで経済的・文化的な格差は、現在のように酷くなかったでしょう。地方にも豊かな暮らしがあり、伝統的文化が息づいていたに違いありません。

  しかしそう言っても、テサロニケは州随一の大都市で、日本で言えば例えば東北地方随一の都市は仙台であるように、産業と政治・行政、教育・文化の中心地でしたから、そこに生まれた教会の人たちは意識が高く、経済的に豊かで、何かと地方に生まれた小さな教会を助け、援助し、信仰的に支えたのでないかと思われます。

  復活のイエスは弟子たちに、あなたがたは「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われましたが、パウロはテサロニケ教会の人たちに対して、あなたがたはマケドニア州全土に対する福音宣教の責任をもって欲しいと、州全域への伝道を託していたのでないかと思います。

  それにしてもマケドニアに生まれた教会は、まだ教会というより、あちらに1人、こちらに2人と信者が点在して、少し大きいと10人程の家の集会がポツン、ポツンとあったのだろうと思います。フィリピやベレアにもパウロは伝道しましたから、パウロの手によって小さな集まりが生まれていましたし、他の伝道者によって信仰に入った人もあったでしょう。

  それでテサロニケ教会は、マケドニア州全土に点在する、と言っても、まだそれほど多くなかったでしょうが、兄弟姉妹に何かと連帯し、信仰に基づく兄弟愛を実践していたのです。

  パウロが、「全土に住むすべての兄弟にそれを実行している」と書いているのは、大げさ過ぎないかと思いますが、地方に散在するクリスチャンは、仕事や教育のために大都市テサロニケに出掛けている間にキリスト教に出会い、信仰に入った人たちだったでしょうから、その後田舎に帰った人たちと連絡を密に取り合っていたに違いありません。テサロニケ教会の人たちは、心を大きく開いて、地方に散らされた信仰者たちを何かと支援したのです。

  パウロは、「兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。あなた方自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです。現にあなたがたは、マケドニア州全土に住むすべての兄弟に、それを実行しています。しかし、なお一層励んで下さい」と書きました。彼は、テサロニケ教会の兄弟愛を歓迎して、その実践を高く評価しながら、それがより一段と進むようにと励ましているわけです。

  励ますわけですが、先ず彼らに共鳴しています。先ず共鳴や心の響き合いを大切にする彼の姿に学びたいと思います。こういう響き合いがあって、次に自分の言いたいことも相手に通じる可能性が生まれます。それは私たちも日常生活で感じているところです。むろんこちらはそうしているのに、向こうはそうしてくれないこともあって、いやになっちゃうわけですが、それは相手の性格や度量や都合もあり、致し方ありません。

  パウロがテサロニケ教会の兄弟愛を歓迎したのは、彼らが「神から教えられている」とあるような、パウロが説いたところを神の言葉として純粋な気持ちで熱心に学ぼうとする信仰姿勢があったからでしょう。また、神に教えられたことを、単なる心情の問題や思想の問題にしておかないで、生き方の事柄として実践したからです。

  ただその事をしているからと言って、そこで止まるのでなく、「なお一層励んで下さい」とパウロは率直に願いました。それは、彼が信仰の更に深い奥を知っているからです。ペトロの第2の手紙に、「信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」とあります。愛に深みがあり、愛することを学ぶのは一生の仕事です。奥の奥があって、ローマだけでなく、愛は一日にて成らず、です。彼らが、更に麗しい信仰の深みに達するようにと、パウロは願ったのです。

  去年の大震災後、私たちと関係が深いA教会は被災した諸教会のために多額の献金をされたようです。しかも、その他に毎月何週目かの礼拝献金をそっくりそのまま被災地の諸教会に捧げて来られました。大きな教会ですから、一回の礼拝献金は○○万円ほどでしょうが、一年で相当の額です。こういうことは、たとえ思いついても、たとえ大教会でも実際には中々実践できないことです。しかも新年度も、続けて行こうとしておられます。これは兄弟愛の実践だと思います。頭が下がります。

  パウロは、「なお一層励んで下さい」と語り、ペトロは、「信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」と勧めるのです。兄弟愛はギリシャ語でヒラデルヒアと言いますが、愛はアガペーです。ヒラデルヒアは人々への一般的な愛、人一般への援助や助けですが、アガペーは神の愛、敵をも愛し、赦す愛です。

  人を一般的に愛するのは比較的易しいでしょう。しかし、自分を与える愛は誰しも困難です。パウロもペトロも、その愛の深みに向って更に励んで下さいと勧めている訳です。

  話は飛びますが、ケニア人は黒人です。皮膚が本当に真っ黒で、肌の色がこれ程違うと私たち日本人は馴染みがないので、一般的に違和感があって近寄れないところがあります。しかし、キリスト者は世界中どこでもほぼ同じことを考えているということを、ケニアのレイチェルという若い女性が書いていることから思わせられ、親しみを感じ、改めて信仰の素晴らしさを覚えました。

  彼女の父親は20年ほど前に、妻とレイチェルさんら3人の子どもを置いて、若くして亡くなりました。3人の小さい子どもを抱えた母は大変でした。当然夫の親族が支援してくれると思っていたのですが、それどころか、反対に夫の遺産をみんなで分配したのです。その対立が原因で、父の兄弟や両親と絶交状態になったのです。

  しかしレイチェルさんたちはキリスト教徒でしたから、神の愛と赦しを受けて生きている自分たちが父親の親族を赦せないというのが、ずっと頭痛の種でした。鉛のような重さとなって苦しめました。

  やっと17年後に、祖父母を訪ねる機会があり、仲直りの気持ちを伝えることができて、少し心の痛みが取れました。そして去年の2月、父の死後20年目に祖母が亡くなり、その時、皆が顔をそろえた時に、完全ではないが、更に関係が改善されたのだそうです。

  そしてこう書いておられました。「赦すことは至って難しい。だが、それはしなければならないことです。それは先ず、赦そうという意志を持つことから始まります。そこから前進し、やがて赦すことに至ります。いかに深い傷であろうが、赦しは私たちが取るべき選択であり、その選択をなす時、神がそれを行なう恵みと強さとを授けて下さるのです。そしてひとたび赦すなら、神ご自身が私たちの心の傷を癒して下さるのです。」

  うまい訳ではありませんが、私はレイチェルさんの文章を読んで胸が熱くなりました。「先ず、赦そうという意志を持つことから始まる。そこから、前進し、やがて赦すことに至る。ひとたび赦すなら、神ご自身が私たちの心の傷を癒して下さる。」国は違い、民族も言語も肌の色も違いますが、世界の片隅で私たちと同じように考える人が現実に存在する、顔も知りませんが、今この時もケニアに生きていらっしゃることを知って、嬉しくなりました。

  パウロは、テサロニケの信徒たちが、こういう愛の深みにまで至って欲しいと願っているのだと思います。

        (つづく)

                                        2012年5月6日



                                        板橋大山教会   上垣 勝



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