聖遺物礼拝を拒む
リヨンのサン・ジャン教会のステンドグラス
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主は復活なさったのだ!(上)
マタイ27章1-10節
(1)
ユダヤ教の安息日は土曜日です。その土曜が終わり、週の初めの日、日曜日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアがイエスが葬られた墓を見に行きました。
2人は、金曜日にイエスが十字架に磔になり、やがて取り降ろされ、少し離れたアリマタヤのヨセフの墓に葬られるまでの一部始終を見た女性たちでした。
彼らが早朝に墓に着くと大きな地震が起こったのです。大地震というと今日、ぶつかり合っている巨大な大陸プレートが突然崩壊したり跳ね返って壊れて起こるなどと言われていますが、当時は、全宇宙を支配し、それを揺り動かす神の力に由来すると考えられていました。それは神の終末的な現われを示唆して、人々の恐れの対象になっていました。今日の聖書は、主のみ使いが天から降って来て、重い「墓石を脇へ転がし、その上に座った」と記しています。神の使いが遣わされると共に地震が起こり、あるいは地震と共に神の使いが遣わされたということでしょう。み使いの姿は、「稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」とありました。
パレスチナの当時の墓は横穴式で、入口に男たち5、6人掛りでやっと転がせる大きな石が転がされ蓋にされます。イエスの墓にはその上、27章に書かれているように、遺体を弟子たちに盗まれないように封印がされ、番兵が置かれて厳重な警戒がなされていました。
婦人たちは、輝く天の御使いの真っ白な衣の姿に神の顕現を見たのでしょう。婦人たちが見ただけでなく、番兵たちも見たのでしょう。「恐ろしさの余り震え上がり、死人のようになった」とあります。婦人たちだけだと錯覚だとも言えるでしょうが、番兵たちもだとすると何か客観的な不思議な現象だったかも知れません。
これが復活の朝起こった様子ですが、その時、天の使いは婦人たちに、「恐れることはない。十字架に付けられたイエスを探しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」と告げたというのです。
(2)
イエスの復活の出来事で明らかなのは、誰もイエスが復活する姿を見た者がないことです。蝉が脱皮して行く姿や、アメリカザリガニの脱皮する姿を見たことがありますが、聖書はイエスの復活する有様をどこにも書いていません。それには興味を示していないのです。
「あの方は、ここにはおられない」とか、「遺体の置いてあった場所を見なさい」と言われて、空の墓が示されるだけです。ヨハネ福音書では、遺体を包んでいた「亜麻布が置いてあった」とか、「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった」と書かれていますが、やはり空の墓が言われるだけです。
それに対し、この出来事が告げようとしているのは、イエスは「死者の中から復活された」こと。ヨセフの墓では会うことはできないが、復活のイエスは「あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」ということです。これとほぼ同じ言葉が、10節の復活のイエスによって婦人たちに告げられています。「恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会うことになる」とあります。
墓はもぬけの殻なのです。遺体を探しに来たがイエスの遺体と対面できないのです。墓の中のイエス、死んだ過去のイエス、遺体のイエスと出会ったり、崇めたりというのは、まことの信仰ではないと言おうとしているかのようです。そういう遺物礼拝を拒んでいます。
キリスト教でもカトリックは聖骸布を宝物にしています。スリランカは仏教王国ですが、キャンディという古都にブッダの歯を祀った佛歯寺というお寺があります。毎年その歯を担いで盛大なお祭りをします。でも、聖書は聖遺物礼拝を拒んでいると言っていいでしょう。
それから、墓はイエスを閉じ込めておけなかった。死の力さえイエスをねじ伏せておくことは出来なかったと語ろうとしています。イエスは重い墓石を蹴散らして、墓を破って出て来られたと告げるのです。
(つづく)
2016年4月8日
板橋大山教会 上垣 勝
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