もしイエスが女性なら


                       リヨンのオールド・タウンから丘を望む
                               ・


                                       嬲(なぶ)られるイエス (上)
                                       マタイ27章27-31節


                              (序)
  人は何と恐ろしいことを企むのでしょう。抜かりなく、巧みに騙(だま)し、イエスを捕えたのです。人の頭には何とおぞましい考えが潜むのでしょう。今日の個所には、肉体的、精神的いじめの全ての要素が詰まっています。

  イエスの逮捕はイスカリオテのユダの接吻から始まりました。彼は祭司長や長老らが遣わした、松明を手に武器を持った手下や大勢の群衆と一緒に、ゲッセマネの園に上って来ました。

  ユダは予め彼らと示し合わせ、「先生、今晩は」と言って接吻したのです。親愛な言葉と態度で師を裏切るのです。誰の発案か分かりませんが、何と卑怯な手段でしょう。目的のため手段を選ばず、です。今の社会に直せば、「社長、社長」とおだてて置いて、サッと身を引くようなやり方でしょうか。以上は26章の半ばに記されています。

  その後、人々はイエスを大祭司カイアファの所に連行しました。カイアファの館への道の一部は2千年後の今も残っています。真夜中ですが、最高法院、サンヒドリンの全員が招集され、イエスを処刑にする最高議会が開かれました。

  26章65節以下には、敵陣の只中でイエスがしたい放題のことをされているのが記されています。大祭司の態度は実に高慢で横柄ですし、他の議員たちは、それに輪をかけたような態度です。

  ある議員は、「イエスの顔に唾を吐きかけた」とありますが、よくもそんなことが出来たものです。他の者は、「こぶしで殴り」、別の者は「平手で打ちながら、『メシア、お前を殴ったのは誰か、言い当てて見ろ』」と、馬鹿にしたとあります。

  戦場では敵意がむき出しになります。捕虜に罵詈雑言を浴びせ、嬲(なぶ)りものにして憂さを晴らしがちです。アメリカ兵がアフガニスタンタリバン兵でしょうか、死体にオシッコを掛けたと報道され、大きな問題になりました。兵士が民家に入って銃を乱射して何人かを殺しました。これは更に大問題に発展しかねません。

  「カーネーション」の朝のドラマは昨日で終わりました。主人公の幼馴染の勘助が戦地から帰って来ますが、人が変わってしまっています。そして2度目の応召で戦死します。その母は、「あの子はやられて、ああなってしもた」と思っていました。だが現実は被害者でなく、加害者であったことを知るのです。それで母親は、「あの子はやったんや、あの子がやったんや」という場面がありました。何をやったのか知りません。相手が敵兵なのか、子どもか、若い女性か知りません。

  戦場では罪がむき出しになります。戦後67年経っても、今なお従軍慰安婦たちへの謝罪を日本政府に求めても応じません。反対にソウルの日本大使館前の慰安婦の像を撤去してほしいと日本政府は要求しています。人間は事実に対し謙虚でなければ仲直りは起こりません。恥ずかしいことです。

  新聞の人生相談のコーナーには時々職場のことが出て来ます。いつかは、上司からセクハラでなくパワハラを受けている同僚のことが出ていました。中には、上司に気に入られている者が上司に代わってパワハラすることがあるようです。そうして仲間が辞めさせられたり、左遷させられて行くことがあるようです。

  国の最高議会で嬲(なぶ)りものにされ、死刑を宣告された後、夜が明けると、イエスは縛られて総督ピラトの所に連行されました。総督は、イエスが訴えられているのは妬みのためだと分かっていたので、出来れば釈放しようとして、毎年、除酵祭に囚人一人を釈放して、占領軍への民衆の反感を宥めていたので、バラバかイエスか、どちらを釈放してもらいたいかと群衆に尋ねたのです。

  すると祭司長や長老たちは、「バラバを釈放し、イエスを死刑に処してもらうように群衆を説得した」とあります。説得とありますが、扇動したのでしょう。

  群衆一人ひとりは力を持ちません。しかし群衆に火がつくと、止めることは不可能です。祭司長や長老に操られた群衆は、「十字架に付けろ」と口々に叫び、勢いづいて激しくなりました。ピラトは、イエスを釈放すれば「却って暴動が起こりそうなのを見て」、法による公正な裁判でなく政治的判断を下してバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから十字架に掛けるように引き渡しました。

                              (1)
  これが今日の個所の直前までに出て来ることですが、「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた」のです。

  ローマの総督府は地中海沿いの町カイザリアにありました。しかし過越祭には内外から沢山の巡礼者がエルサレムに集まるため、不測の事態に備えて治安部隊をエルサレムに駐屯させ、総督自身もエルサレムにいたのです。

  裁判は、総督が裁判席ガバダという席について行なわれました。この裁判席もエルサレムの旧市街に残っています。官邸は、その奥のアントニア砦にありました。堅固な砦を官邸にしていました。

  「イエスを総督官邸に連れて行き」とありますが、砦は厚い壁で囲まれた密室のような空間です。もはや飛んで火に入る夏の虫です。煮て食おうが、焼いて食おうが思うが儘です。ですから、官邸での兵士たちの無謀ぶりがここに赤裸々に出ています。彼らは全員他民族出身の傭兵です。ユダヤ人に何の恩義も借りもありません。遠慮のいらない所で、人はいかに図々しくなるかの見本です。

  「部隊の全員をイエスの周りに集めた」とあります。部隊は6百人から1千人程ですが、他の任務もありますから、数百人の部隊がイエスの周りに集められたでしょう。

  警備のためにイエスの周りにそれ程の兵隊を集める必要などないわけで、最初からイエスをからかい、仕たい放題、嬲(なぶ)りものにするためです。軍隊というのは、兵隊の日頃の憂さ晴らしを適度にさせます。それは遊びのひと時であり、余興のひと時です。こういうことをさせることで兵隊の一体感を味あわせ息抜きをさせます。

  そこでイエスの着ているものを剥ぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭にのせ、右手に葦の棒を持たせ、その前に跪いて、「ユダヤ人の王、万歳」と囃し立てて侮辱した。「赤い外套」は王のマントに似せています。鋭いトゲのある茨を編んで頭にかぶらせた冠は、王冠に似せています。十字架に付けられる前から、イエスの頭からドクドクと血が流れていた筈です。葦の棒は王の杖の代わりです。

  風刺、揶揄、からかい、嘲弄。困らせ、面白がり、バカにし、嬲(なぶ)りものにするために小道具を持たせられ、王に祭り上げられた所で、その前に額ずき、面白がって「ユダヤ人の王、万歳」と囃し立てて侮辱した。

  密室です。どんなに酷く嬲(なぶ)りものにしても誰も何も言わない。さんざんからかった後、葦の棒を取り上げ、茨の冠の上から頭をたたき続けたのです。葦の棒だけでなく、辺りから棒を持って来て何人もが頭を叩いたことでしょう。酒は出されないが、無礼講とも言える大騒ぎです。

  上官たちは、部下に適当にやらせて笑っていたでしょう。あるいは「お前、やれ」、「次はお前、やれ」と言って、イエスを嬲(なぶ)っているのです。そのような中で人間としての慎み、節操、尊厳を剥ぎ取って行かれ、それに順応しなければ仲間になれず、浮き上がってしまう。軍隊や軍隊式の閉じられた集団はこういう傾向を持っています。暫らく前にどこかの大学野球部で、また柔道部でこういうのがありました。

  人間の本性には残忍な性(さが)が妖しく潜んでいます。ここに出て来る兵士たちは私たちと無縁の人でなく、私たちも何かがあると兵士たちのようになるかも知れません。立場によったら最高議会の議員や長老や祭司長に、また世のリーダーに乗せられて「十字架に付けろ」と叫ぶかもしれません。

  ここで起こっているのは、人間に対する侮辱ではありません。神の子イエスが侮辱され、嬲(なぶ)られたということです。イエスは今、人間の赤裸々な罪を全身で受けて、悲しい表情で人間の、私たちの悲しい、愚かな、罪の愚行を忍ばれたのです。

  さんざん侮辱すると、さすがに兵士たちも興ざめして、外套を脱がせ、元の服を着せ、十字架に付けるために引いて行きました。

  もしイエスが女性なら、何人もの兵士たちに犯された後、ゴルゴタの丘に引きずられて行ったことでしょう。獣のようになってしまう人間の姿がここにあります。しかも家に帰れば善良なパパであり、近所の愛想のいい青年でしょう。先程の勘助は、「やられたんやなく、あの子が、やったんや」と母親が言ったのです。

         (つづく)

                                      2012年4月1日



                                      板橋大山教会   上垣 勝



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