新しい「絆」をつくる要


            星の王子様のSt.テグジュペリ空港からリヨンまでのリムジン電車は快適です。
                リヨン・パール・ディユ駅の北側にターミナル駅があります。



                                            絆をつくる要 (下)
                                            エフェソ2章11-22節


                              (3)
  長い前置きになりましたが、今日の聖書は、絆についてまったく別の視点から発言をしていると思います。たとえば、「造り上げ」とか「近い者となった」という言葉は絆に関係します。また「結ばれて」とか「近づく」「かなめ石」「組み合わされ」なども絆を意味するでしょう。ここには私たちを真に結びつけるもの、絆をつくり上げるものは何かが語られていると言っていいでしょう。

  最初の11節、12節は、イスラエルあるいは私たち、この世の古い絆が書かれます。それは民族の絆です。彼等は割礼を受けた者と無割礼の者を厳しく峻別して、区別だけでなく差別もしました。絆の中にいる者と外の者を分断しました。

  しかし13節以降は、この分断を乗り越え、民族の絆や血肉の絆などを越える、キリストによる新しい絆を語り始めます。

  「あなた方は、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを1つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」19節以下では、「従って、あなた方はもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエスご自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し…」とあります。

  キリストは、人間が持っていたものとは全く違った、新しい人間関係を打ち立てるために来られたということです。それは、キリストの死と復活によって始められた革新的な新しい人の関係です。今日の個所には、当時のローマ社会の政治や行政の専門用語が、異邦人、外国人、民、契約、土台など、色々使われています。むろん今も、外国に行ったり、長く暮らすにはパスポートやビザが要ります。永住するには制限があります。永住に対する日本の制限は特別厳しいものです

  この手紙は、そういう政治や行政の言葉を使って、キリストによって明け始めた新しい世界の在り方を語っています。キリストによって今や、肌の色、言語、国境、民族などが越えられ、私たちは皆、新しい神の国の市民であると宣言しているのです。あらゆる隔ての壁が越えられたのです。

  十字架の下で起こった、人類の新しい根本的な変化です。私たちは国境で阻まれず、民族の違いで差別されず、血筋や家柄にもよらず、そういう人間的な所属が徹底的に変革されたのです。十字架の足元で、敵意が取り除かれたと語るのです。

  罪や咎や、神から遠ざけ神から引き裂いていたものも、一切が十字架によって背後に投げ捨てられたのです。神ご自身が、私と私自身との不調和の間にも立って下さり、私と神との和解と共に、私と私自身との和解をも作り出して下さったのです。イエスの死によって、私たちと神との間にあった最後の壁も取り除かれたのです。

  御子キリストが殺され、その死が、選ばれた者とそうでない者との隔てをなくし、敵意を滅ぼしたのです。キリストの命に与ることによって同じメンバーになったのです。キリストの十字架がすべての者を結び付ける絆となり、接着剤となり、扇の要、建物の要石になったのです。

  このようにして新しい身体が造り上げられました。私たちはこれを感謝して自覚すれば、既にどの人も神の民です。神の愛される神の民です。いや、私たちが自覚する前から、神の愛はすでに私たちに届き、神の民に加えられています。

  もはや地理的な遠さも、国境も、民族も、言語も、血縁も、学識も、地位も、家柄も、たとえ前世の因縁というのがあったとしても、「キリストの血によって」越えられています。キリストにあっては、もはや県境(けんざかい)も、国境(くにざかい)も、縄張りもありません。あらゆるものが一緒に結び合わされ、和解し、建設されて行くのです。

  ここに真の絆が生まれる可能性があります。唯一の可能性です。義理人情の世界ではありません。異質な者を排除する絆ではありません。村八分する古い絆ではありません。

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  世界には色々な絆があります。しかし、その絆が私たちを騙しもしますし、裏切りもしますし、その絆は嘘であったり、偽りであったり、誇大広告であったりします。

  大震災と津波原発事故が日本社会にまき起したのは、一体その情報は本当なのか嘘なのかという不信の社会です。一旦は疑わなければ信じられない国民にしてしまいました。肉屋にいても、八百屋にいても、銀行にいても疑っています。地震津波原発事故が疑心暗鬼を生みました。新聞にも、テレビにも、政府の発表にも、一旦は疑いの目を向けるのが癖になってしまいました。

  イザヤ書に、「地の基が震い動く」という言葉がありますが、大地震が東日本の地の基を振るわしました。だがそれ以上に社会全体を基から大きく震わしたのが、昨年3月11日に起こったことです。社会の基が揺れ動き、不安定になったのです。

  しかしその中で、ますます明らかになったのは、イエス・キリストだけは確かであると言うことです。世の基がどんなに揺れ動いても、ここには動かない確かな方が存在されると言うことです。この方こそ、人類がみな最終的に拠り頼める唯ひとりのお方であると言うことです。

  この方において、本当の絆が回復されると聖書は私たちに語ります。この方において、あらゆる公平性、平等性、真実性、正義と愛、信頼と和解、人と人との平和が回復されるからです。ここに日本的な「絆」を越えて行く視点があり、まことの絆の要があります。

  (暫らく祈りますが、その後、みんなで5分ほどの長い沈黙の祈りを心を込めていたしましょう。地震津波で命を失った約3万人の方々を覚え、また家の倒壊半壊、津波被害、福島原発大事故による放射能の広範囲の汚染など、色々な種類の多数の被災者と被災教会を覚えて、長い沈黙の内に祈りましょう…)


           (完)

                                      2012年3月11日



                                      板橋大山教会   上垣 勝



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