「絆」に思う ―震災後1年―


                レマン湖を出てスイス国境を越えフランスの平野部に入ったローヌ川
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                                            絆をつくる要 (上)
                                            エフェソ2章11-22節


                              (1)
  うっとうしい日々の後、今朝やっと薄日が差して来ましたが、マグニチュード9.0の運命の日から1年が経ちました。被災地はまだ薄日どころの復興とは行かないかも知れません。最初は地震の規模さえ不確かでした。最も大きな津波は40mに達しました。死者約1万6千人、行方不明約3千人。避難者は最大40万人以上。全壊半壊合わせて38万戸以上。被害額は16兆から25兆円と政府は試算していますが、原発事故の被害は今後幾らに膨らむか分かりません。

  250kmほど離れた板橋でも、公園の地面がグラグラと波打って、踏ん張ってやっと立てるだけでした。皆さんもそれぞれの場所でのことを思い出されることでしょう。

  予想しなかったのは、翌日から福島第1原発の1号機、3号機、2号機と次々水素爆発を起こし、大量の高濃度の放射能を陸にも海にも、広い地域にまき散らしたことです。私はその1週間前の6日の週報で、13日の礼拝でチェルノブイリ事故の現在を語る予告をしていましたが、まさにその時にチェルノブイリ事故と同じレベル7の巨大原発事故が起こりました。炉心が融けてメルトダウンという過酷な事故になりました。テレビでは、「直ちには問題はない。パニックにならないように」と繰り返し放送していました。新聞もほぼ同様でした。

  しかし地元の人たちの中には、直ちに逃げた人たちもありました。放射能の怖さを持っていた人は逃げました。しかし中に、逃げたものの、知らずに一番汚染された地域に逃げ込んだ人たちもありました。ですから、「これは犯罪だ、政府の役人たちを監獄に入れろ」と、今、叫んでいる人たちがあります。本当にやりきれない思いでしょう。スピーディというのがあったそうですが、機能しませんでした。無念と言えば無念、仕方ないと言えば仕方ない、腹が立つと言えば腹が立ちます。しかし、政府も私たちもこんな事態を考えていませんでした。原発反対を語って来た私も、こんな風になるとは思いませんでした。

  今、半径20km圏内は立ち入り禁止です。今後何年、何十年も帰って来ることはできません。今そこに入ると逮捕されます。この圏内は時間が止まり、まさに死の町と化しています。前の菅首相は、これは第2次世界大戦以来の最も重大な危機だと言いました。本当にそうだと思います。

  原発の建屋は爆発しましたが、原発の炉心、格納容器や圧力容器自体は爆発しませんでした。ただこれは、全く偶然の幸いが重なったからのようです。だがその可能性があったのです。もし炉心が爆発していれば、私たち首都圏約4千万人は直ちに避難しなければならなかったでしょう。4千万人が我先に逃げればどうなっていたか。想像を絶する事態が起り、思うだけでもゾッとします。

  去年の3月23日のわが家の夕食時に、もし炉心が爆発したらどうするかということが話題になりました。色々話すうちに、妻は怖くなりパニックを起こしたのでしょう。自分はあす朝、九州に逃げると言って荷造りし始めました。当分帰って来ないと言うのです。でも、リフォームが完成して、アパートから牧師館に帰って来なければならない時期でした。こちらも困って、引き止めるのに大変苦労しました。日本駐在の外国人記者の奥さんは子どもを連れて大阪に逃げました。平日礼拝に出ている若い方は子ども2人を連れて、1か月ほどアメリカに逃げました。

  炉心が爆発していれば、首都圏に何年も何十年も住めなくなっていたでしょう。日本はそれこそ、ローマ帝国の滅亡のようにヴァンダル族の侵入でなく、高レベルの放射能の侵入によって滅ぼされ、歴史の闇の中に沈没したかも知れません。しかし神様は危ないところで守って下さり、事なきを得ました。一命を取り留めたというところでしょうか。

                              (2)
  去年の漢字は「絆」でした。今はテレビや新聞で、一日に何度も絆という言葉を聞かされ、もうこの言葉は擦り切れているのに、今日も説教題で絆という言葉が入っています。最初は絆という字はどこか格好良かったですが、余りにも耳にして、皆さんはどうでしょう、私は違和感を感じ始めています。

  と申しますのは、テレビなどで絆というテーマの何か気のきいた番組をしますが、実際には地震原発で絆が断たれて、あちこちで分断とか断絶が起こっているからです。絆は理想ですが、現実は絆どころでなく、大きな分断や断絶、小さな無数の分断や断絶が人々の間にあちこちで起こっています。最近では、その分断を隠して見えなくさせる機能を絆という言葉が果たしつつあって、怖い思いもします。第1に、瓦礫を引き取る市町村が極めて少ないです。放射能で汚染された土をどこに始末することすら決められないのが、私たちの国であり、政府であり、日本国民です。自分の責任を抜きに考えてはいけません。

  小さな無数の分断と言いましたが、福島の避難地域からだけでなく、近隣の県からも家族で遠い他府県に逃げたり、夫を置いて妻が子どもと逃げたり、逃げるか逃げないかで夫婦が対立して離婚で家族が分断されるケースも起こっています。親兄弟が対立している家族もあります。あの家はどこからの補償金を幾らもらった、この家はどこら幾ら、どこから幾らだ。だから働く筈がない。この家はこうだ、あの家はどうだ。奴らは原発誘致をしてたっぷり儲けてそのうえ補償金をもらっている。どうのこうの、一杯あります。絆どころでなく、絆が壊れて行く現実です。むろん絆が強まった所もあります。しかし、そんな所でも在日外国人への支援では日本人中心ですし、彼らとの絆が大きく開きました。

  絆という言葉は震災が起こるまでは、一般には親兄弟や夫婦の絆とか、同窓や同郷の絆などと使われて来ました。しかし震災でこの言葉が脚光を浴びて注目されましたが、誰も絆という言葉の限界について発言するのを目にしません。絆には良い面と共に悪い面。義理人情と結び付いて、日本的な村社会の、よそ者を排除する性格、同質の者とは絆を作るが、異質な者は敵視し、排除する古い体質がこびりついているわけでその面が見落とされています。日本再生のために、絆という言葉が使われますが、絆という考えが本当に日本を再生するのだろうかと、最近思えてならないのです。

                              (3)
  長い前置きになりましたが、今日の聖書は絆について、まったく別の視点から発言をしていると思います。たとえば、「造り上げ」とか「近い者となった」という言葉は絆に関係します。また「結ばれて」とか「近づく」「かなめ石」「組み合わされ」なども絆を意味するでしょう。ここには私たちを真に結びつけるもの、絆をつくり上げるものは何かが語られていると言っていいでしょう。

           (つづく)

                                      2012年3月11日



                                      板橋大山教会   上垣 勝



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