ペトロの姑の癒し


                     リオンの繁華街はレストランが何軒も続いています
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                                          病を担う人 ― 神の義 ― (上)
                                          マタイ8章14-17節


                              (1)
  マタイの5章から7章までは「山上の説教」が記されています。今日の個所はそれから間もなく、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムであった出来事です。イエスは既にペトロやアンデレ、ヤコブヨハネなど4人漁師らを弟子にしておられましたが、まだ12弟子全員を選んでいない、宣教を始められてごく初期の頃です。12弟子の選びは少し先の10章に書かれています。

  今日の14節には、「イエスはペトロの家に行き、その姑が熱を出して寝込んでいるのをご覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、姑が起き上ってイエスをもてなした」とありました。

  カファルナウムはガリラヤ湖の栄えた漁師町でした。ユダヤ教の会堂の遺跡が現在も残っていますが、そこから50mもしない所にペトロの家だろうと言われている遺跡が、こちらはほぼ礎石だけですが今も残っています。

  イエスは「ご覧になり」とあるのは、単にチラッと一瞥されたのでなく、熱病で唸(うな)っている姑(しゅうとめ)の病状と、義理の息子の家で寝付いて気をもむ姑の不安な思いも含め、すべてをご覧になったということです。最近は医者に行っても、こちらの顔を殆ど見ません。パソコンの画面に向いながら患者とやり取りしています。しかし、イエスは姑の顔を見、心配な心も、彼女の人格も、すべてをご覧になったと言うことです。

  彼女の熱病はマラリア熱であったと言われています。そうならパウロの慢性病と同じです。カファルナウムの北にはフューレ湖という淀んだ湖というか湿地帯があって、そこがハマダラ蚊の発生源でした。イスラエル国が出来てから埋め立てられて、この辺りのマラリアはすっかりなくなりました。

  マラリアだと1日に数回高熱を出したりします。マラリアの病原虫が赤血球の内に入るのでどんな薬も効かないのです。ある時期に病原虫が赤血球の外に出ます。その時に高熱が出たりするようで、非常に厄介な病気です。サッと熱が引いたり、急に40度の高熱が続いたり、視力が失われたり、色んな症状が出ますし、脳症とか肺水腫とか急性腎不全とか色んな合併症が出ます。私の知っている方は名古屋大学の先生でアフリカのスーダンで研究しておられましたが、マラリアになって高熱が続いて生命が危険になり、現地の人たちに助けられましたが失明されました。その後も変遷(へんせん)があって、今は牧師になられました。赤血球の小さな球の内部に病原虫が入りますから、現代の薬も効かない恐ろしい伝染病です。皆さんは耳を疑うでしょうが、現在も年間5億人が感染し300万人が死亡しています。これを撲滅する薬を発明すれば、必ずノーベル賞を頂けるでしょう。

  1日に何度も高熱が出たり引いたり変化しますので、ギリシャ語の「熱」という言葉は普通は複数形で使われて、複雑な熱を表現したようです。或いは合併症による熱が出ているのかも知れません。

  イエス様は姑の傍に行って、早速手を取られました。今ならまるで慣れた家庭訪問医の姿です。イエス様は自分の家族のごとく姑に接しておられます。オープンマインドというか、始めての人にも躊躇せず、サッと苦しみを持つ人のそばに近づいて行かれます。イエスの愛、愛の人イエスの姿がここにあります。

  手を置いて癒されると、姑は起き上ってもてなし始めたとあります。余りにも早いと思いますが、ここにもマラリアという病気の特徴が出ているかも知れません。熱が引くとケロッとするわけです。

  姑が癒されて、ペトロとアンデレは家族の中にイエスに感謝する人が現われて、イエスの弟子として一層心強く仕えて行くことが出来たでしょう。

                              (2)
  さて、「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆癒された」とあります。

  この「悪霊」も複数形です。この8章の最後にガダラ(ゲラサ)の狂人のことが出ていますが、マルコ福音書には、彼には6千匹、無数の悪霊レギオンが乗り移っていたとあります。で、色々な悪さ、症状を持ち、複雑に絡み合った、当時、悪霊の仕業とされるような精神的、心の病に罹っていたのでしょう。幼い頃からの環境や人間関係の歪み、青年時代の発症、衝突やトラブル、落ち込んだり鬱状態になったり、何かへの依存症、悪癖、仕事がない、貧困。その他色々な悪い環境や症状が複雑に絡み合っていたのでしょうか。

  そんな人々をイエスは回復させ、病気を癒された。ここに、神の子イエスの特別な力、そして神の国が、神のみ手が、イエスを通して既にここに来たことを暗示しています。マタイ1章の、「神、我らと共におられる」という方がここに来、共におられることです。1章にはイエス系図があり、錚々(そうそう)たる族長や王たちが登場したのに、やがて罪にまみれて落ちぶれて行った。世界の歴史といわず、イスラエルの歴史だけをとっても数々の罪の歴史が累積して、やがて歴史の闇に埋もれて行く末路。だが、その真っ黒な罪にかかわらず、この人類と神は共におられる。「神、我らと共にいます。」聖書がこれから述べようとしている福音が、イエスを通して今、人々に届き始めたということです。

            (つづく)

                                      2012年3月4日



                                      板橋大山教会   上垣 勝



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