断頭で断ち切れない絆


                 リヨンの丘のフルヴィエール教会からの下り道は絶好の散歩道です
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                                           共にあって生きる (下)
                                           Ⅰテサロニケ3章1-10節


                              (3)
  パウロは自分たちだけが良ければそれでいい、という考えを少しも持っていません。アテネで苦戦を強いられていたのに、最も頼りがいのあるテモテを遣わしたのは、テサロニケ教会と共に同時代を生きようとする信念を持っていたからです。一緒に支え合い、苦労し合い、連帯して生きようとしたからです。

  その背後には、神が、その独り子を遣わす程にこの世を愛し、信じる者が一人も滅びないで救おうとされたことがあるでしょう。世の救いのため、世に連帯された神。ここにパウロの連帯、共に生きる根拠があります。

  その連帯が嬉しい知らせとなって、今、テモテが帰って来たのです。

  そこでパウロは、7節、8節で述べます。「それで、兄弟たち、私たちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなた方の信仰によって励まされました。あなた方が主にしっかりと結ばれているなら、今、私たちは生きていると言えるからです。私たちは神の御前で、あなた方のことで喜びにあふれています。」

  労苦が報われることほど嬉しいことはありません。どんな仕事も、困難であればある程、実現した時には嬉しいでしょう。詩編126篇に、「涙と共に種を播く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰って来る」とある通りです。この言葉はどんな人にも通じ、どんな時代やどんな場所でも通じます。

  パウロはテサロニケ教会との連帯を率直に書きます。私たちはこの世で、共にあって信仰に生きている。この信仰の真理を忘れてはなりません。また軽んじてはなりません。

  暫らく前に、絆についてお話し致しました。キリストと私たちの絆は、たとえ断頭台にあっても断ち切ることが出来ないものだと申しました。私たちキリスト者は、この世のいかなる力によっても断ち切れない絆でキリストに結び付いているのですから、私たち同士も横の強い絆で結ばれている。キリストを仲立ちとするから、その絆は強靭(きょうじん)なのです。両者は助け合い、支え合い、共に喜び合って生きるのです。キリスト教信仰というのは本来そのような共同の業です。

 皆さんの中にも内面的な傾向の強い方と、社会的傾向の強い方がいらっしゃるでしょう。この世界の中でのキリスト教の働きを大切にする人と、教会形成に軸足を置く人。これらは皆、兄弟姉妹の業です。現われが違うだけで一つの業です。互いに異質な人たちの働きを認め、支え合うことが大事です。

  また、教会同士は互いに競争したり、競い合うものではありません。私たちのプロテスタント教会も、カトリック教会もギリシャ正教会も、みな一つである。兄弟姉妹である。そういう信仰が根本になければイエス様に繋(つな)がっているとは言えません。またイエスの教えに、常に帰ろうという思いを持っていなければ、キリストの教会でなくなります。人間の教会になります。

  日本からヨーロッパの教会を見て、色々批判されることがしばしばあります。しかし、よく目を留めて見るとやっぱり進んでいるところが色々あります。

  現在のベルリンは、東西ドイツの和解を象徴する町です。更にこの町は、世界に今存在する多くの壁も、やがて必ず崩れるという希望のシンボルになっています。最近、テゼのヨーロッパ大会に参加してドイツの首都ベルリンの家庭に、元・東ベルリンにある家庭にですがホームステイした、あるフランスの青年たちがこんなことを書いていました。

  彼等が宿泊した旧・東ベルリン地区には、聖ニコライ教会という教会があったそうです。その教会は第二次世界大戦で破壊されて、約40年後の1980年代にやっと再建が始まりました。それでベルリンの壁が崩壊した時、1989年でしたか、その教会でベルリンの壁崩壊を祝う記念礼拝をしようとしたのですが、オルガンがまだ行方不明になったままでなかったのだそうです。それを知った旧・西ベルリンのある教会は、むろん教会には一台のオルガンしかないのに、和解のしるしとしてそのオルガンを譲ったのです。ここにあるリードオルガンのようなものではありません。ドイツでオルガンと言えば、パイプオルガンです。何千万円もします。それを和解のしるしとして贈った。何と素晴らしい和解の徴でしょう。

  オルガンが来て聖ニコライ教会は活気を取り戻し、教会の再建が続けられました。すると次に、戦時中になくなった教会の鐘をどうするかという問題が起こりました。ヨーロッパの教会には高い塔があって大きな鐘をつけられています。教会に鐘は必需品です。ところでこのルター派プロテスタント教会のごくごく近所にカトリック教会がありました。戦前は、これらカトリック教会とプロテスタント教会の2つの鐘の音は、互いに調和しない、ケンカしているみたいな不調和な鐘の音だったようです。互いに相手を受け入れない音色だったんででしょう。

  ところが今回、新しい鐘を造る際に、聖ニコライ教会の人たちは、戦前のような互いに争い合う鐘でなく、カトリック教会の鐘とハーモニーをもって調和し、響き合う鐘を新調することに決定したのです。相手に歩み寄った。譲歩した。

  これは今や和解した東西ドイツ、壁が崩壊した一つのドイツ、そしてプロテスタントカトリックの一致の素晴らしい証しとなっていると青年たちが書いていました。実に美しい話です。

  伝統が違う教会であるが、キリストにおいて互いに響き合い、信頼し合い、キリストを指し示して存在する。そこに真実があり、美しさがあり、世に対する素晴らしい証しがあります。

  アダムにエヴァが与えられました。「人が一人でいるのはよくない。彼のためにふさわしい助け手を造ろう。」この「ふさわしい助け手」とは、響き合うという意味です。男と女の響き合い、人間同士の響き合い、神様は人間を美しく響き合うものとして創造された。

  パウロは自らが試練の中にありながら、試練の中にあるテサロニケ教会を支援し、助け合い、進んで響き合って行った。試練の中で裁き合うのでなく、響き合う。助け合う。これはキリスト教の奥義だと言えます。なぜなら美しい一致の奥義は父と子と聖霊の三位一体の奥義まで遡(さかのぼ)るからです。

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  レンブラントは青年時代から多くの自画像を描きました。最後の自画像というのもあります。腰が曲がった老いた老人で、受け入れ難い老いを受け入れて、やや自嘲気味に、だがそれも仕方ないものとしてかユーモラスに笑っている老人の姿です。精悍さはどこにもありません。シワシワの顔ですが穏やかで、この自画像には彼の深い内省が表現されていると言われます。

  確かによく見ると、すごく含蓄のある、奥行きの深い、考えさせられる絵です。彼は老いの事実から逃げないのです。悲しみや困難から逃げないのです。弱さ、脆さからも逃げないしごまかさない。ありのままに神の前で生きるのです。すると味が出始める。

  テサロニケ教会の人たちは試練の中で折れそうになったでしょう。これ程の苦難の中で、誰が折れそうにならずにいられるでしょうか。弱さと脆(もろ)さと辛さ、困難さを日々に感じたでしょう。言わば踏み絵を踏みそうになり、踏み絵のイエスが、「踏んでいいよ。私は踏まれるために生まれて来た」と語りかける声を聞いたかもしれない。その中で石のように堅い信仰をもって生きたが、柔軟さのない、ガチガチのこわばった信仰でなく、人の弱さ、醜さ、浅ましさ、人間の実態を知りつつ、その人間をなおかつ愛し、赦し、憐れまれるキリストの愛に日々に触れて、キリストに赦されて幾度もキリストに結ばれて行く信仰。キリストとの固い絆で結ばれいることに励まされる信仰に生きていたのでなかったかと思います。

  断頭台にあっても断ち切ることが出来ないキリストと私たちの強い絆。パウロたちは、苦難の中で、キリストに結ばれているその絆をテサロニケの人たちの中に見て、どんなに励まされたことでしょう。 


          (完)


                                      2012年2月26日



                                      板橋大山教会   上垣 勝



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